雑事~ざつごと~

てきとうにたらたら文章書いてる奴の垂れ流しやら雑記やら。

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SEEN-3.25 「長い夜Ⅱ」

 かちゃりと音を立てて、士郎が縁側にお盆を置いた。上には湯飲みが四つと割れ煎の入った器が一つ。士郎は各人――アルトリア、凛、アーチャー、そして自分に湯飲みを渡し、自らも縁側に落ち着いた。
「悪い。居間が大変なことになってるからここで我慢してくれ」
 凛は先ほど見たテーブルを中庭に運んでいる光景を思い出し、未だにひくりと震える額を宥めながらお茶を啜った。だいたい、何故この半人前以下の魔術師が最強のサーヴァント・セイバーを召喚しているのかとも愚痴を零しつつ。
「ま、いいけど。どうしてこんな具合になったの?」
 士郎はぼろぼろの体に手を当てながら慎二が食事中に襲ってきた事と、アサシンを殺したことを簡潔に伝えた。アルトリアとアーチャーは黙ったまま茶を啜り、割れ煎を齧ってもう一度湯飲みを傾ける。凛は少しだけ眉間に皺を浮かび上がらせ、考えこむ。
「ふうん。まあ、セイバーを引き当てたんだからそれも当然か」
 言って、それで納得したように彼女は一人で頷いた。
「そうなのか。セイバーっていうかアルトリアは英霊じゃないから結構きつかったんだけど、あれでも楽な方なのか」
 大した被害――アルトリアが体に負った怪我は治癒能力で治っているから、実質的な被害は士郎と衛宮邸の一部損壊――もなかったし、と士郎は士郎で納得し、さっきの凛を真似るように頷いた。凛はそれで頭に上っていた血を体に下ろし、すべきことを思い出した。途中、ランサーに阻まれてそれを越えるためにすっかりと忘れていたことを頭の真中に据える。
「そう言えば聞きたかったんだけど、どうして今日欠席したの?」
 突然の質問にか、それとも原因不明の出来事だったからか、士郎とアルトリアは苦い顔をした。士郎はため息を一つ吐いて呟く。
「それがどうにも判らないんだ。聖杯戦争ってクエストに巻きこまれてる内はログ・アウトできないのかと思ったんだけど、遠坂の言葉にするとどうも違うみたいだし。エラーなのかな、俺とアルトリアはログ・アウト出来ないみたいなんだ。そもそも、ウィンドウを表示してもEXITが現れないし」
 士郎が目をやると、お茶を飲んでいたアルトリアはこくりと一つ頷いて遠坂を見る。遠坂は随分と渋い表情で顎に人差し指を折り曲げて当て、一度ウィンドウを起動して操作するが、彼女のウィンドウにはしっかりとEXITの文字が浮かんでいるし、そこに視線を運んで選べば、確認のYES、NOの文字が上に重なって現れる。マーブル・ファンタズムの基本機能のまま、まったく普通だった。
「わたしが今確認した程度だと、貴方たち以外には現れていない。それに、サーヴァントというのは普通、聖杯(システム)が作り上げる架空の人格に過ぎないはずなんだけどね」
 お手上げと言うように彼女が肩を竦める。
「まあ、四十八時間が経過してライフ・セイヴァー機能で強制ログ・アウトになるのを期待するしかないんじゃない?」
「成る程。不具合は有っても機能自体が壊れてなきゃ、明日――時間的には今日にも目覚めれるってことか」
 士郎とアルトリアは基本的なことを気付かぬ内に動転して忘れていたようで、彼女の言葉に納得した。そこで少しだけ呆れたようにアーチャーが皮肉げに笑ったが、気付いた者はいなかった。
「じゃあもう一つ聞くけど、セイバーが英霊じゃないってのはどういうこと。単なる頷きでで済ませるにはちょっと聞き逃し難いわね」
 アルトリアは中身を干した湯飲みをお盆に戻した。士郎がお代わりを問い、頷いたアルトリアに応えるためにお盆を持ち、台所に戻っていく。割れ煎を一つ噛み砕いてから口を開く。
「簡単に経緯を纏めると、私はイングランドのプレイヤーで、ログ・インした際に何故かシロウのサーヴァントとして召喚された。もちろんこちらも原因は判らないのですが」
 彼女は言い終えてもう一つ割れ煎を齧り、味に頷きながらそれを胃におさめた。美味しそうに食べるアルトリアに吊られて凛も割れ煎を一つ齧る。アルトリアが頷くだけあって、割れ煎は凛の口にも合った。まだ温かいお茶を飲んで凛は口を湿らせる。少々渋みのあるお茶は醤油味の煎餅と合っていた。
「ふうん。まあ、当人も判らないってことか」
 もう一度お茶を啜って続ける。
「でもよくアサシンを倒せたわね。こっちも一度戦ったけど生憎と引き分け。ま、代わりに傷らしい傷もないんだけど」
「ああ。アルトリアが頑張ってくれたからな」
 士郎が温くなってしまったお茶を飲み、喉に流す。
「そんなことはない。あの多重次元屈折現象を用いた回避不可能の魔剣を耐えれたのは、シロウのおかげです」
「ちょっと待った。多重次元屈折現象って、ゼルレッチのあれ? あのロン毛侍、そんな宝具持ってそうに無かったけど」
「でしょうね。彼が持っていたのは単なる長刀で、回避不可能の魔剣は剣を研鑚して辿りついた単なる剣技でしたから」
 凛は難しい顔をしてまた一人で呟きながら考え込んでいる。「魔術と言う方法で……」とか「剣だけだったから?」なんて声が聞こえて来たが、それ以外、士郎とアルトリアには呟きが聞こえなかった。
 凛の思考が終わるまで士郎とアルトリアはお茶と割れ煎を口に運んで待ち、五分ほどして彼女の考えが終わった頃にはアーチャーもお茶のお代わりをしていた。もっとも、凛も考え事をしていただけで手と口は動き、彼女もお茶を飲み干していたが。
「で、そっちはどうなんだよ。ちょっと前にすごい音が交差点の方から聞こえてきたけど、それと関係があるのか?」
 う、と彼女らは自身が巻き起こした惨状を思い出して息詰まり、言い辛そうに凛が小さく頷いた。アーチャーは眉間に皺を寄せて腕を組み黙っている。
「あれだけやったんだから無傷じゃないとは思うんだけど、倒せたかどうかは自信がないわね。確認なんてしてる場合じゃなかったし」
 魔力を根こそぎととっておきを使っておいて確実じゃないなんてと、凛自身、歯を噛む思いだったが事実だから仕方が無いと不機嫌な顔をしながら言った。
「そっか。やっぱり本当のサーヴァントって強いんだな」
 頷く士郎に対して、凛は胸の中でため息をついた。問題なのはそのサーヴァントが正規に召喚されたものではなく、どれだけの能力を持っているかでしかない。そういうことならばセイバーとして召喚されたアルトリアは、アーチャーが引き分けるだけの技量を持ち、尚且つ切り札を披露したアサシンを倒すだけの力を持った強い存在だった。
「衛宮君。わたしの忠告を聞かなかったってことは、戦う意志があるってことでいいのね」
 凛は今まで和んでいた空気を引き締めて士郎に言う。
「……どうなんだろう。今までは訳もわからず殺しに来る相手から身を守ってただけだったし、それにログ・アウトできないって事に気を取られてたから、正直よく考えてない」
 ふうん、と凛は一つ頷いて、アーチャーは煮え切らないと眉間にしわを一つ刻む。アルトリアは我関せずというわけでも無いだろうが、現状ではお茶を啜って黙り込んでいる。
「でも、聖杯だかなんだか知らないけどそんな物の為に無益な結果が遺るって言うなら、俺はそんな戦い止めたい」
 確かな決意の有る顔をして士郎は言った。自らの戦力を弁え、残ったマスター中一番弱いという身分を判った上でそんな莫迦を口にする。少しだけ凛は表情を引き締めて言った。
「じゃあわたしと衛宮君は敵ってことか。こっちは一応、聖杯を手に入れる目的で動いてるんだし」
「いや、俺は別に遠坂と敵になるつもりなんか無いぞ」
 凛は一瞬間抜けたような表情をしてから士郎を睨みつけた。
「それってどう言う意味? そっちは聖杯戦争を止めたい、こっちは聖杯を手に入れたい。なら戦うのは必然でしょ」
「違う。前提から間違えてる。俺は別に戦いたくなんてないけど、手段として戦いを選ぶしかなかった。だから別に遠坂と戦いたくなんてない」
「それって矛盾よ。衛宮君のことだからどうせ人の希望を奪う戦いなんてしちゃいけないと思ってるんでしょ。でも、戦うことを望んでいる人からそれを取り上げる? 聖杯と言う願望機に縋らなければどうしようもない人に願望機を渡さない? それって、衛宮君こそ希望を打ち砕いてるんじゃない」
 矛盾点を挙げられ、さらに一刀両断にされた士郎は拳を握って歯を噛んだ。凛の指摘は正しかったのだろう。彼にとって戦いとはすなわち悲劇を止める手段でしかない。けれど、それこそが悲劇を生み出すのなら自分はどうすればいいのかと彼は俯いた。そもそも願望機と言うものを巡って戦うのが聖杯戦争だ。その戦いに参加するからには、よほどの決意と覚悟が無ければならない。何故なら、過去四度開催された聖杯戦争の生き残りなどほとんどいないのだから。自分はその想いを砕こうとしてると気付いて、士郎は項垂れた。瞼をきつく閉じて目の前を暗くし、自らの思考に閉じこもる。
 しばらくの時が経った。風がそよいで木々を揺らし、冷たい風が通り抜けていく。アーチャーが勝手知ったる他人の我が家とばかりに衛宮邸へ入りこんでお茶のお代わりを持ち、凛とアルトリアに自分の湯飲みへとお茶を注いでいく。白い湯気が蛍光灯に昇る前に消えて、寒さが体から熱を奪っていく。それは、どのぐらいの時だったろう。時計は分針を三つほど進めたに過ぎなかった。けれども士郎にとってその時間はずいぶんと長く、短かったに違いない。
 凛は冷たい体をお茶で温めて、湯飲みの熱で温まった手を頬に当てる。彼女はずいぶん冷たくて温かい感触に早く沸かした風呂に入りたいと思い、少しだけ黙ったままの士郎に苛立ったようにため息を吐いた。
「間違ってるかもしれないし正しくないかもしれない。でもこんなことが素晴らしいなんて思えないから、それでも俺は――この戦いを止める」
 士郎は太腿に爪を突き刺しながら言った。歯を噛み締め、自らを引き裂きたいような思いでそれを吐き出した。
 凛は少しだけ安堵したようにお茶を飲んで熱い息を吐き、夜を彩る。
「それならわたしと組みましょう、衛宮君」
 アーチャーは眉間に皺を寄せ、アルトリアは何事かと顔をそっちに向ける。士郎は重々しい決意もどこか、腑抜けたような顔をして凛を見る。
「わたしは結果的に聖杯が手に入れば良いの。戦わなくていいならそんな楽なことないわ」
「え、あれ……おい。じゃあなんであんなこと言ったんだ?」
「別に意味なんて無いわよ、あえて言うなら衛宮君の意志確認ってところかな。戦ってる途中にやっぱ止めるなんて逃げ出されたら困るもの」
 士郎は苦々しい顔をしてからため息を吐き、アーチャーは鼻で笑ってから腕を組んで眉間の皺を解す。アルトリアはお茶を飲んで振り回された士郎に少々口元を緩め、割れ煎を一つ口に入れた。
「このあくま。……でもまあ、これで遠坂と戦わないで良いんだよな」
「さあね。少なくとも衛宮君が裏切らない限りは戦わないんじゃない?」
「だったら大丈夫だ。俺は遠坂のこと信頼するから裏切るなんてしない」
 凛は真顔で言う士郎から顔をそらして寒さとは別の理由で赤くなった頬を静め、自分たちの状況を話し始めた。

 手に白い息を吹きかけて暖を取る。湿気が張りついて擦り辛いけれども、仕方がないと桜は呟いた。
 彼女は白いダッフルコートを着て冬木市深山町を走っていた。辺りには立ち止まって話しているプレイヤーや、今回の聖杯戦争で誰が勝つかなんて会話も弾んでいる。この時期だけは――二年に一度の聖杯戦争だけは、世界の注目がこの冬木エリアに集まるのだった。聖杯戦争自体は他のエリアでも存在しているが、アインツベルン、マキリ、遠坂の三家が絡んだこの聖杯戦争は他のものとは別物だった。
 その遠坂に生まれた少女、現在の遠坂桜はほとんどさ迷っていると表現した方が的確なほど目的地も無く走っていた。
「もしかして、さっきの爆発に巻きこまれたんじゃ」
 最初に彼女が歩いていた新都へ行く為の橋からでさえ聞こえてきた大爆発の音を聞いて、彼女は引き返してきたのだ。遠くの空まで赤く焼けるなんて尋常じゃない爆発だと判断しての引き返しだった。
 その場所には多くのプレイヤーが居た。十字路のちょうど真ん中あたりに出来た原因不明のクレーターは、正しく聖杯戦争の爪痕だ。アスファルトが溶けて出来た穴は爆心地で数メートルもの深さがあり、範囲は十メートル弱。上から下への爆撃か、深くはあるが範囲は狭かった。
 桜はプレイヤーの海に飛びこんでクレーターを覗き、辺りに人の居た痕跡が無いかを魔力で水増しした視力で観察する。が、衣服や髪の切れ端があったとしてもアスファルトを溶かすほどの熱量の前には、蒸発か炎上してしまい何も残ってはしないだろう。彼女はそこで探すのを諦め、凛が何か知っていないかと思い、遠坂の洋館へ一度帰ることにした。
 桜は走っていた。交差点から遠坂家までは歩いて十五分ほどの道程を走っていた。士郎が心配だという理由もあっただろう。だが今、彼女が走っている一番の理由は、後ろから追ってくる“影”にある。
 “影”は走ってるのか歩いてるのか這いずってるのかとても曖昧に、ただ、ずるずるという音をさせながら彼女を追いかけていた。速度は彼女が走るのと同じほど。
 ずるずる。ずるずる。ずるずる。ずるずる。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
 彼女の肺は空気を求めていた。一時間ほども走り詰めだった足は既に乳酸漬けで止まれた膝が震えるほど疲れ切っている。それでも彼女は走るのを止めない。ただ背後のずるずると追いかけてくる“影”が怖くて、止まることなどできなかった。
 普通のプレイヤーはそんな追いかけ方をしない。話しかければ良いことだし、プレイヤー・キラーならばまず足を止める。吸血鬼――死徒と呼ばれる存在ならそんな奇妙な追いかけ方をするかもしれないが、わざわざ聖杯戦争という強力な存在が集まる時期に来るには可笑しすぎる。そんな冷静なことを彼女が考えていたとも思えないが、単純な恐怖は逃げる為の力に変換されていた。
 恐怖の力も限界なのか、それとも先に体が燃え尽きたのか、彼女はよろよろと近くの電柱に寄りかかって足を止める。弾んだと言うよりもすでに荒い息は肺が圧縮されたのかと思うほど浅く短い。ともすれば掠れた笑い声にも聞こえるような強い息の呼吸は、とうとう五メートル付近まで近づいたずるずると言う音で停止した。
 喉に氷が張ったような感覚が彼女の脳を掻き混ぜて思考を両断、分断、裁断、切断、加えて微塵に切り刻み、真っ白に染め上げていく。
「                     、あ」
 桜は喉に張りついた氷を飲み下し、漂白された脳髄を初期化して再起動、即座に最低必要限の機能だけを常駐させて電柱を支点に反転し“影”と向き合う。
「わたしだって遠坂なんだから。姉さんと同じ――遠坂なんだから」
 八の字に下がった逆さにし、彼女は自分の中のスウィッチを切り替えた。
「こんな恐怖ぐらい、笑って地獄に叩き返さないと……」
 ずるりと最後に引き摺って、“影”は姿を桜の視界に現した。ずいぶん酷く破れたボンテージを着て、けれど傷一つ無い無骨な眼帯を着けた衣服と同じボロボロの体の女性。それが“影”の正体だった。ずるずると引き摺る音の正体は左脚のブーツと自らの背よりも長い紫の髪で、喋らない理由は喉を貫通した穴にある。恐らく声帯が丸ごと壊れているのだろう。
 それを見た途端、桜は自らも大丈夫とは言えない体で駆け寄り、彼女の体を抱き上げて歩き出す。顔の半分を覆う眼帯のせいで表情も見えないが、桜は彼女の言おうとした言葉を理解したように言葉を吐いた。
「わたしの先輩が正義の味方を目指してるから、わたしも困った人を放っておけない」
 マーブル・ファンタズムを始めた当初、桜は士郎に質問した。なぜ痛い思いまでしてプレイを続けるのか、と。当然の質問だった。それは他のプレイヤーにも言える事だったが、大抵の場合は止めれないほど面白いかそもそもコミュニケーション・ツールとして使用してる等の理由だろう。士郎は少しだけ恥ずかしそうに、けれども胸を張って桜の問いに答えた。「自分自身が未熟で力が足りないと判ってるけど、もしかしたら俺が成りたい正義の味方になれるかもしれないから」と。遠坂桜は現実を知っていた。恐らくそんなこと実現出来ないだろうと。そしてまたこうも知っていた。衛宮士郎は諦めないだろうと。だから遠坂桜は彼の無謀な理想に寄り添っている。彼の取りこぼしたものぐらいなら救えるかもしれないと。少しだけでも手伝えるかもしれないからと。
 走り過ぎたせいで通り過ぎていた遠坂の洋館に着き、桜は乱れた呼吸のまま閉鎖された結界を開錠して中に入る。
 途端、傷だらけのライダーは桜の腕に噛みついた。
「――――――え?」
 コートを捲って長袖のシャツを破き、皮膚を突き破って肉を抉って溢れ出る血を吸っている。循環する血が号令をかけられたようにそこに集まっていく。飲み下す女の首は向こうが見えるほど綺麗に穴が開いているのに、ごくりごくりと喉が鳴っては血を飲み干していく。
 桜が感じていたのは、単純な痛みと怒りではなく熱っぽい疲労感と疑問だった。喉が鳴る度にライダーの傷は目に見えて治っていき、服さえ修復されて完全に治癒が終わる頃には、桜の血は全身の四分の一ほども吸われていた。
「失礼しました。今治しますので」
 歯型に噛み千切られた皮膚と肉を魔力で無理矢理縫合し、ライダーは桜から一歩下がって膝を着く。恭しく頭を下げて彼女は眼帯の中の目を桜に合わせ、言葉もなく血を吸ったことを詫びる。
「喋れるほど機能が回復していませんでしたので、無断で吸ってしまいました」
 重ね重ね深く頭を下げると、疲労と貧血に足元が怪しくなった桜を支えて屋内を駆ける。桜の寝室に入ると底に桜を座らせ、もう一度彼女は膝を着いた。
「あなた、サーヴァント、なの?」
「はい。現在はマスターが居ないのでもうそろそろ存在も危ういのですが。クラスはライダーです」
 そっか。と桜はぼんやりとした頭で理解したことを伝え、そのまま思考と眠気に落ちそうになるのを腕に爪を立てて防いだ。
「じゃ、あ、わたし、が、マスター、に、なって、も、いい?」
 血が足りないせいで上手く働かない筋肉を総動員して桜は口を動かす。献血で二百ミリリットルの血を抜くだけで貧血で意識が危うくなるのに、彼女は一リットル近くも血液を無くしているのだ。意識が危ういどころか気絶しないだけでも十分に上出来だった。
 ライダーは桜が言うとそれを待ってましたとばかりに口元を緩め、眼帯をしていても判る笑みを浮かべた。
「では、契約を」
 何処からか取り出した五寸釘を大きくして鎖を取りつけたような短剣を用いて手の平を切り裂き、それで魔法陣を描いていく。それがぼんやりと光り出し、ライダーが教えた通りに桜が言葉を途切れ途切れ紡ぎ出すと、腕に灼けつくような痛みが走ってから多量の魔力を更に失い、桜は耐え切れずに眠りに落ちた。
「ありがとう、サクラ。貴方の役には立てないかもしれないけれど、精一杯手伝います」
 ライダーは満ちる魔力に再び笑みを浮かべてから負担をかけないようにと霊体になった。

「と、まあそんな所かな」
 凛が現状――体験したサーヴァントとの戦闘情報などを伝えた後、お茶を啜って一息吐く。士郎は凛の大胆と言うよりも大雑把な戦闘方法に驚き、同時にそんな方法を使えるような魔力の貯蔵量に恐さも抱いた。改めて敵にならなくて良かったと思い、内心で安堵する。アーチャーは少々喋りすぎだとも思ったが、それぐらいまで出しておいた方が信頼の絆は強くなると判断したらしく一応肯いた。アルトリアは肝心のアーチャーの攻撃――爆発の原因の正体が掴めずにやや不満だったが、安易に突っ込むと関係が拗れるきっかけにもなると思いそれを飲みこんだ。
 掛け時計が振り子を揺らして重い音を響かせる。凛がそれを覗きこむと、時刻は一時になっていた。
「うわ、ちょっと居過ぎたか。じゃあそろそろ帰るわ。またね、士郎」
「おう。――え?」
 あまりにも自然に呼び方が変わった凛にやや遅目の反応を返すが、士郎が動揺するまもなく凛はその場でウィンドウを開いてログ・アウトしていった。残されたアーチャーはログ・アウトと同時に霊体化して見えなくなり、気配も何処かへ消えている。
「なんだったんだ、今の」
「さあ。それよりも、居間の片付けをしなければ」
「……そうだな。片付けが終わったら寝ようか」
 ややぐったりとしたように縁側の湯飲みとすっかり無くなったお茶請けの器を片付け、アルトリアは破れた畳を縁側から外に出して片付け始めた。
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  1. 1970/01/10(土) 14:00:00|
  2. marble phantasm
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SEEN-3 「幾何模様、闇色鈍色」

 タレの焦げる良い匂いが台所から居間まで行き、アルトリアは期待を寄せる。彼女にとって日本食は珍しい食べものだったし、事情があって最近はあまり美味しいと言える物も食べていなかったから余計にだった。士郎がフライパンで作っているのは、鶏の照り焼きである。それを載せるのだろう皿には半分が茹でたもやし、半分が千切りにしたキャベツが沢山敷かれていて、それだけで二センチ以上もある。仕上げた鶏の照り焼きを一口サイズに切り分けて大皿の上のもやしとキャベツに乗せると、鶏の照り焼きを居間のテーブルに運んだ。台所に戻った士郎は他の料理と食器をおぼんに乗せて運び、もう一度戻って味噌汁の鍋を取ってきた。
 炊飯器を開けて一番湯気が出るのを待ってからしゃもじでご飯を混ぜ、士郎は茶碗にご飯を盛る。朝食の時にアルトリアは良く食べると判ったから、彼女の茶碗には大盛りの白米が輝いている。士郎も育ち盛りだし激しい運動をしたから、アルトリアと同じ分量をよそった。味噌汁の具はネギと油揚げにお麩を浮かべている。漬物はきゅうり、なす、にんじん、の糠漬けとキャベツと白菜の浅漬け。鶏の照り焼きが濃いからワカメときゅうりの酢の物も付けて、食欲をそそる夕食が出来あがる。
 アルトリアは目を輝かせて早く食べたいと素直に顔に現し、士郎はそんなアルトリアに微笑ましいものを感じた。同時に料理人としてそんなに喜んでくれる事に喜びを返し、箸を渡してお百姓さんに感謝をして食べ始めた。
「いただきます」
「いただきます」
 アルトリアは味噌汁を掻き混ぜて一度啜った後、多量のキャベツに鶏の照り焼きを乗せて口に運んだ。何度か噛み締めると、照り焼きのタレ、鶏の歯応えと肉汁、キャベツの触感が相俟って美味さが作り出される。キャベツが鶏の照り焼きの過剰な分の脂も消し、より美味しく思わせる。
 酢の物を摘んでから今度はもやしで食べ、アルトリアはまたも嬉しそうに頷く。豆とヒゲを丁寧にとって茹でたもやしの触感はキャベツとはまた違った美味さを作り出す。照り焼きのタレが絡んだもやしはまた別の美味しさがあり、彼女は付け合わせ次第でこんなにも喜べるものなのかと感動した。その直後である。この料理が、食事が、士郎の心遣いが台無しになったのは。
 ガラスの割れる音、木の擦れる音、鉄の響いた叫び、紙の破ける音、鈴の鳴る音が衛宮家に重なり合って行き渡る。五重の音が耳朶を劈く。それに狂ったような笑い声が続いて、襖がジグソーパズルのように崩れた。そのせいでテーブルの上の料理は木の粉や紙、バラバラになった襖などで食べれる状態ではない。
「こんばんは、衛宮。一日ぶりだね、元気だったかい?」
 私服を身に付けた慎二と、そのサーヴァントアサシンの姿が崩れた襖の裏側から露わになった。慎二はけたけたと子供のように笑いながら、権力にしがみつく大人のように嘲いながら士郎を見る。アサシンはその長すぎる刀を肩に担ぎ、端正な顔を微かな罪悪感に染めながら言う。
「すまぬな。サーヴァントにとってマスターの命令は絶対ゆえ、無礼な真似は謝ろう」
 少しだけ首を垂れるように下げ、アサシンは食事の時間に襲撃をかけたこと、家を壊したこと、食事を台無しにしたことを謝罪した。士郎はあまりのことに少々呆然とした後、ああ、襲撃なんだな、と、ぼんやりしながら納得して立ち上がり、一度頬を叩いてから慎二を睨みつける。アルトリアはまだ座ってぐちゃぐちゃになった料理を眺めたまま固まっている。
「なんでこんなことをするんだよ、慎二。戦いたいと言うなら、正々堂々とやればいいじゃないか」
 言いながら士郎は灼けた鉄の棒を背骨に沿ってずぶずぶと挿し込み、脂汗を額から流しながら尾てい骨まで貫く。擬似神経を一本だけ通して、衛宮士郎は魔術師に成った。
「ちょっと皮肉った所はあるけど、お前はそんな奴じゃなかっただろう。どうしたんだよ慎二」
 慎二は額に青筋を浮かべて口の端をひくつかせながら腰に手を当てる。
「お前の、そう言う所が気に食わないんだよ! なんだよそれは、そんなに良い子で居たいのか? そんなに正しく在りたいのか? みんなで仲良くしてれば憎悪なんて生まれないと思ってるのか? 冗談じゃない。僕は、お前の事なんか大嫌いなんだよ!」
 右手の親指の皮を齧って、苛々と落ち着かないそぶりで慎二は言う。隈の酷い眼で、充血した眼で、吠えるように慎二は言う。
「だいたい、なんでお前なんだよ! なんでお前が魔術師になんてなるんだよ! なんでお前が、なんで、なんで、なんで、なんで! なんでお前なんだよ!」
 慎二はぐじゃぐじゃに崩れた親指を皿に噛んで、力を入れ続ける。その内に犬歯が皮膚を突き破り、血が彼の口内と手を赤く汚した。痛みと血の味で少しは落ち着いたのか、錯乱した様子を吐き捨てて慎二は一度粉っぽい空気の中深呼吸をし、張りつけた笑顔で言った。
「今度こそ、殺しちゃってよ。アサシン」
 アサシンはそれに無言で応え、少々眉を顰めながら肩に担いだ刀を構え――障子と慎二を巻き込んで中庭に吹き飛んだ。
 今まで固まっていたセイバーが、一瞬の内に不可視の剣を横に薙ぎ、振り抜いた姿がそこにあった。肩を大きく揺らして息をし、眉間に皺を寄せ、眉を限界まで吊り上げて彼女は吼える。
「謝罪など……謝罪など要らない! 欲しいのはそんなものではなく、シロウのご飯です!」
 そこから弾けるように前に飛び出し、アサシンを一刀両断にしようとして彼の刀に流され、不可視の剣が地面を抉る。慎二は左手をハーフコートのポケットに入れて血の出た親指を一度舐め、挑発するように言う。
「来いよ衛宮。サーヴァント一人に戦いを任せる気か? 正義の味方を目指すお前が、女の子一人に戦わせるつもりなのか!?」
 歯噛みをして、激昂する部分を飲み下して士郎は言う。
「判った。その安い挑発に乗ってやるよ、慎二」
 苦虫を噛み潰したように言って、靴下を脱いで士郎は庭に出る。怒りに呑み込まれていたアルトリアの肩を叩いて、宥めるように笑いかける。
「料理はまた作ってやれるから、今は落ち着こう」
 眉間に入れていた力を抜いて、彼女は微笑んでから怒りに任せたではない、士郎を叩きのめした時のような真剣さを持ってアサシンを睨みつける。アサシンに巻きこまれて吹き飛んだ慎二はアサシンに文句を言いながら立ちあがり、服を右手で叩いてから踏ん反り返るように庭に下りた士郎を満足げに見やる。
「さて、殺し合おうか……衛宮」
「――同調、開始(トレース  オ ン )
 慎二の言葉に耳も傾けず、服を強化して士郎は飛びこんだ。
 アサシンは剣を肩から跳ね上げて左手を柄尻に添えると、長刀の切先を斜め下に向けて構える。土のついていない不可視の剣を正眼に構えて、アルトリアは体中のバネに力を溜め込む。
「往くぞ、剣士。我が名はアサシンのサーヴァント、佐々木小次郎。いざ参る」
「応えよう、剣士。私の名前はアルトリア。セイバーのサーヴァントだ」
 アサシンが下段から流れるような滑らかさで刀を振るうと、それを強引に弾き飛ばしてアルトリアは第二撃を同じく下段から斜めに斬り上げ、アサシンに長刀で最初のように流され空を斬る。
「剣筋は悪くない。力も有り攻撃も苛烈ではあるが、未熟よな」
「黙れ、アサシン。闘う時にベラベラと舌を回すのが貴様の流儀か」
「たしかに真剣な勝負に要らぬ言葉を挟むなど無粋だ、ここからは無言で往こう」
 鋼が鳴いた。

 少女の世界は上下に揺れていた。青紫のあたたかそうなコートに身を包み、それだけではまだ足りないとばかりに帽子を頭に被った彼女は、冷たそうな鈍色の巨人の肩に乗り、巨人が歩くたび上下に揺れていた。普通ならば気持ち悪くもなりそうなのだが、彼女はそんな風もなく、鼻歌を唄いながら機嫌良さそうに暗い道を進んでいく。
 他のマーブル・ファンタズム・プレイヤーが彼女を肩に乗せた巨人を見て驚き、羨望し、恐怖して道の端に寄る。夜こそ、マーブル・ファンタズムの聖杯戦争、冬木エリアは活発になっていく。コミュニケーション・ツールとして使う者も、魔術師に憧れながら素質が無くてなれなかった者も、魔術師でありながら苦痛を嫌い、落ち零れていく者も、みんなが平等に巨人を避けた。まるでモーゼの十戒のように、巨人は人の流れを割いて歩いた。
 白い少女はローレライを口ずさむ。柔らかで優しげなメロディを夜に滲ませながら、楽しげに微笑んで彼女は巨人の長く、荒れた髪を弄くる。何時から洗っていないのかと思うほど酷く癖のついた髪を撫でつけようと少女は何分か頑張ったが、一本一本の太い髪はまるでその意に従おうとはしない。髪を撫でつけるのは無理なのだろうと思いつつ、少女は撫でつけては跳ね返る髪を弄ぶ。
 巨人がようやく止まった頃に彼女は髪を弄くるのを飽き、脂やふけのついていない手を二、三度叩き払ってから巨人を降りた。目の前には、柳洞寺の長すぎる階段が縦に伸びている。
「さて、行きましょうかバーサーカー」
 バーサーカーと呼ばれた巨人は返事をするわけでもなく、石階段を踏み潰しながら彼女に着いていく。消耗して霊体のまま歩みよりも遅い速度で歩いていくライダーを知りながら、あえて消すまでも無いと同情すら投げかけず。

 遠坂凛は走っていた。歩きならば三十分ほどかかる距離を、話す余裕は無いランニングの速度で走っていた。十分ほど走った距離で立ち止まって一息吐いた時、横殴りに爆風が彼女を殴りつけた。アーチャーが身を呈して防いだ為に怪我こそ無いが、急いでいる時に邪魔されて、彼女は簡単に激昂し、右腕を光らせる。直接的打撃力すら伴うフィンの一撃レヴェルのガンドが、六連装拳銃三丁分ほど爆風の方向に叩きこまれた。彼女はそのまま後ろに跳び退き、荒い息を深呼吸で整えながら冷静さを取り戻し、赤いコートのポケットを探る。
「――Anfang(セット)
 イメージ上の心臓にナイフを突き刺して、凛はすぐさま自分の身体能力を強化した。そしてもう一度大きく――三メートルほど跳び退き、もう一度やってきた爆発を躱す。
「やはり、サーヴァントが居ると奇襲はし辛いな」
 大音量の爆発音に近所の人がそちらを注目する視線をまったく無視しつつ煙の中から現れたのは、二十台半ばほどの女性だった。明らかに日本人ではなく、少々キツめの顔立ちではあるがショート・カットをした美人で、目元にある泣き黒子でセクシーに見える。男性物のカッターシャツやスーツを着用しているのは趣味なのか判らないが、彼女に似合っていた。
Es dreht sich scharf(横たわる旋風),Die harte werden eingedrungen(岩盤をも穿て)!」
 渦巻いた風が矢のように飛び、ショートカットの女性に突き刺そうとするが、空中に描いた反転して傾けたZのような、傾けて角張ったSのような文字を彼女が描き切った瞬間、光の膜に防がれた。舌打ちして、凛はポケットに突っ込んだ手で中の宝石を探った。旋風が止んだ瞬間、代わりに現れた青い突風が吹きつける。対称的な真紅の槍を持って現れた突風(ランサー)は、最初の爆風のようにアーチャーに防がれる。
「サーヴァントとマスターの総力戦ってことか。まったく、邪魔臭い」
 赤いコートが風に靡いた。黒白の短剣が真紅の槍を打ちつけ、黒い髪が流れて踊る。
「――Der See,in den Himmel schwimmt(輝く水面は空に浮かび),flie(ss)t es zur Kaskade(頭上へと墜ちる)
 ショートカットの女性の頭上から滝のような水が流れ落ちる。彼女は手の中の小さな石に魔力を込めた。水は光の膜に弾かれ彼女を避けて落ちていく。
「やれやれ。随分とまた才能のある少女と当たったみたいだが――」
 横棒の傾いたFを空中に描き、ショートカットの女性は呟く。
「――それでも私は負けやしない」
 途端、炎が水を焼き尽くす(ヽヽヽヽヽヽヽヽヽ)
 宝石を握り締め、凛は思考を落ち着ける。けれど、彼女は焦っていた。あんな手描きのルーン如きで、水を焼き尽くすほどの魔術を使えるのかか? と。先程みたいな風の矢程度の牽制ではない、効果は高くないと言えどきちんとした攻撃魔術を。
 真紅の槍の連続した刺突を黒と白の短剣で捌き、時折混ぜられる遠心力の乗った払いを両方の短剣を振り下ろして叩き落とし、防戦ながらもアーチャーはランサーと戦えている。幾度も剣を取り落としてそこら中に黒と白の短剣が散らばってはいるが。ランサーは舌打ちして構えなおした後、深く体勢を沈めて走り出した。まるで獣が四足で走るような低さで、風のようにランサーは駆ける。駆ける。――駆け抜ける。
 アーチャーは下からの奇襲に備えて低くしていた体勢を上に引き上げ、後ろへ向けて白い短刀を振るう。反転して薙がれたランサーの槍に圧されて顔を歪めると、白い短刀に魔力を込めて……手放した。遅れて斜めに薙がれた槍をアーチャーは体を逸らして躱し、黒い短刀に魔力を込めてランサーに斬りつける。が、ランサーは体を傾けるだけでそれを躱し、薙ぎ終えて体の後ろに戻った槍の穂先をアーチャーに向けた。アーチャーは振り終えた瞬間に力が抜けたように黒い短刀をまるで見当違いの場所に投げてしまう。
「これで終わりだ、詐欺野郎(トリック・スター)
「ああ、終わりだな」
 アーチャーは槍が心臓に突きたてられる前だと言うのに妙に冷静で落ち着き払い、むしろ勝者の余裕らしきものすら醸し出している。それが気に入らない、と槍を少し戻して一気に貫こうとした時、
 瞬間、地面に落ちていた白い短剣がランサーの方向を目掛けて弾けるように飛んだ。ランサーは短刀を叩き落すと、アーチャーはその場から退いていた。
「危機一髪だ、飛び出ないように注意しろ」
 宣言のように声が道路に響き、地面に落ちていた全ての短刀がランサーの方向を目指して飛んだ。
 黒と白の短刀は対に作られた。黒い陽剣は干将、白い陰剣は莫耶と言い、その性質は――お互いを磁力のように引き付ける。
 デタラメな方向に飛んだ干将が舞い戻り、莫耶がそれに会いたいと飛び、無数の短刀が更にそれを目指す。
 ランサーはそれをしばらく掃っていたが、ようやく仕組みが判ってそこから飛んで剣軍をやり過ごした。
「飛び出ないように注意しろと言っただろう」
 アーチャーがランサーの更に上空から言う。そして、初めてアーチャーの一撃がランサーを討った。
Gef(ue)hl des Himmels(黒い空は光を飲みこみ),der Thundercloud,das Licht,das f(ae)llt(堪え切れぬ怒りを下す)
 光が瞬いて、幾筋もの稲光がショートカットの女性を襲う。それを、片手はポケットに突っ込んだままで傾けて角張ったSのような文字を描き、光が幾百にも弾けて地面を焦がした。そして彼女が幾つもの小さなFを空中に描くと、それは炎に変わって凛へ向かう。それは凛の魔力抵抗だけで消せるような小さなもので、ただ到達しただけで霧散した。
「……遊ばれてるって言うの。まったく、冗談じゃない」
 凛はコートのポケットを探って宝石を一つ握り締め、尖ったカッティングが手を傷つける一歩手前まで力を込める。その痛みで彼女は一時の興奮を強引に飲み下すと、一度だけ意識して強く呼吸した。それだけで怒りは透明になり、ただ目の前の魔術師を倒すための燃料へと変化する。さて、と呟いて凛はイメージ上のナイフを更に深く根元まで心臓に突き刺した。そして彼女が脚に力を入れて後ろに下がろうとした瞬間、
ナウシズ(束縛)
 傾いた十字架を空中に刻み、ショート・カットの女性が走り出した。わずかに始動がコンマ数秒遅れた程度ではあるが、凛は停止していた。それで、彼女が間を詰めるのには十分なことだった。
カノ(開始)ベルカナ(成長)ウルズ()エワズ(動き)テイワズ(戦士)――」
 走りながら、くの字、角張ったB、逆さのU、凹みの浅いM、上向きの矢印を背後に流してその度に速度と力強さを増していく。凛は強化を体にかけてそれなりに鍛えていた体術スキル『中国拳法』を使用し、退く行動からショート・カットの女性の斜め前に踏み出して拳を突き出した。素晴らしい一撃だった。咄嗟に使った魔術の選択、防御や回避よりも攻撃を選んで被害を少なくしようという決断、そして一撃の速さと威力、どれも申し分無かった。相手が彼女で無かったならば。
「――イサ(休止)
 小さく縦の線を刻んで凛を止め、ほんの瞬間タイミングをずらすと、ショート・カットの女性は凛よりも深く踏みこんで体を前に倒し、一撃を避けた。そしてそのまま沈みこみ、下段回し蹴りで体を前に倒させてからの肘打ちが凛の腹部を穿つ。悲鳴とも言えないような呟きじみた声を残して、凛はその場に膝から崩れ落ちた。
 そして、指先が黒く光る。
 拳銃の発砲音が連続して響く。その数は六を遥かに越え、尚も発砲音がくぐもって女性の腹に食い込んだ。
「届け、(とど)け、(とど)け!」
 ショート・カットが揺れる。男性物のスーツが踊る。体が自ら跳ねる小魚のように跳ねた。
ラグズ(流れ)
 やけに緩慢に、彼女の蹴りが凛の腹部を抉って突き飛ばした。
「二、三発、喰った、か……」
 何度か咳き込み、彼女はもう一度ラグズ(流れ)――上が地面になった鳥の足を描いて気休め程度に調子を整える。そしてポケットに手を突っ込んで小さな石を取り出し、ラグズ(流れ)の刻まれた石を解放する。
「大分、楽に――なったな。咄嗟の判断と作戦、なかなかどうして……単なる天才ちゃんでもなさそうだ」
 凛は地面に重鈍な音をさせて落ち、アスファルトに体を打ちつけた。体で響くような痛みに耐えながら彼女はゆっくりと起き上がり、ショート・カットの女性と同じように咳き込んでから荒い息を繰り返す。擦り切れた膝からは血が滲み、口端から同じ赤色が垂れて地面を黒く塗りつぶした。
 真紅の槍が白の短剣を弾き飛ばし、黒の短剣を突き砕く。白の短剣を追撃して殴り壊してから、ランサーは高速の連続突きをアーチャーに浴びせた。アーチャーは作り出した干将と莫耶で防ぎながら舌打ちをし、先ほどの好機で仕留めきれなかった自分を罵る。その瞬間に作り出したばかりの短剣を両方とも弾き飛ばされ、アーチャーは自分の隙にまた舌打ちしながら接近し、刃先ではなく石突で後方へ飛ばされる方を選んだ。
 アーチャーの旗色はそんなに悪くは無いが、流れが拙かった。本来なら必殺になるはずの攻撃が決まり切らなくて、ランサーにはまだ余裕がある。それが非常に拙かった。ダメージこそ与えているものの、アーチャーは剣の作り過ぎで魔力をかなり消耗しているにも関わらず、ランサーは幾数の短剣の始末とアーチャーの一撃を軽減するルーン魔術を二度使っただけ。このまま防戦一方では、アーチャーの魔力もただ無駄に底をつくだけだろう。それを見越してアーチャーは、石突で吹き飛ばされた痛みとも相俟って苦い表情をする。
「さあて、そろそろ手品の種も尽きたかい?」
「いいや。まだこんな手があった」
 アーチャーの背後から四本剣が現れて飛び出し、ランサーの槍で打ち払われる。
「悪いがその手のものは効かねぇんだ。だが、出し物としちゃなかなか面白かったな」
 威嚇のように槍を何度かその場で振り回し構え、ランサーは口端を歪ませた。
「楽しかったぜ、クソ野郎」
 音に匹敵する速度で、槍が突き出された。
Klumpen des grossen Felsens(巨きく堅き岩),Es wird scharf gezeigt(無骨にして洗練). Es waechst vom boden(地より生え突き刺され)!」
 アスファルトから幾百の岩角が沸いた。ショート・カットの女性の足元から伸び、それを避けた彼女を追うように岩槍が次々と溢れかえる。岩槍はランサーの足元も掬い、アーチャーはその隙に体勢を立て直して距離を取った。岩槍は次々と地面に生え、道路を埋めていく。ショート・カットの女性はポケットから石を取り出して岩槍に叩きつけると、浮かぶように乗った。ランサーも岩槍に槍を振るい、尖った部分を斬り飛ばしてそこに立つ。
Vengeance vom Himmel(天より生える棘),Sie betrachten alle(宙に浮かぶ串刺し候). Es f(ae)llt vom des vollst(ae)ndigen Himmel(空飛ぶ鳥は穴開き墜ちる)!」
 牽制に使った風矢の数倍の威力を持った真空の上牙が、未だ地面より沸き立つ岩の下牙と噛み合わさる。ショート・カットの女性はポケットからもう二つ同じルーンが刻まれた石を取り出して解放し、防御膜を作る。槍で防ぐのが面倒くさくなったのか、ランサーも同じようにエイワズ(防護)を刻んだ石を取り出し、ぼんやりとした表情で両牙を防ぐ。
vogel im Rahmen(閉じられた場所に),phantasieecho(棘は満ちる),Die Kette die entwined(手足を貫く杭)
 詠唱した途端、空から降る真空の矢はより苛烈に、地から沸く岩槍は岩槍からも生えるようになり、地獄の針山が形成されながら空から同じものが落ちてくる。ショート・カットの女性とランサーは石を更に一つ追加して、それを防ぐ。ランサーにはまだ余裕があるが、ショート・カットの女性の額には脂汗が浮かんでいた。解呪し切れなかったガンドのせいか、顔色もあまり良くない。
 凛は川のように流れ出ていく魔力に顔を青白くしながら、しっかりと足元に気をつけて一歩一歩と足を進めていく。アーチャーは逆に退き、民家の屋根を伝って遠回りにランサーたちを通り過ぎた。二人はランサーと女性を通り過ぎて振り返り、荒い息を吐いて笑みを合わせる。
Tiefe Nacht(月の刻),Viele tausend Haende halten das Baby(幾千の牙が貪り尽くす)――」
 顔色とは正反対の赤いコートからピジョンブラッドのルビィを取り出し、凛は恨みを哀しみと悔しさと憎しみを込めて握り締める。
「――I am the bone of my sword.(我が骨子は捻れ狂う)
 騎乗兵の使うような突撃槍のようなシルエットをした酷く歪っている剣を取り出し、アーチャーはそれを肩に担いだ。
「凛。攻撃ではなく、増強を頼む」
 少しだけ不満げに自分で手を下せないのを表情に出しながら、自分では決め手にならないのも事実だと血の気の無い頭で納得し、凛はアーチャーを信じて頷いた。アーチャーもそれに満足げに皮肉っぽいものではない笑みを浮かべ、左手に黒く、艶の無い弓を作り出す。そして肩に担いだ剣を弦につがえ、民家の屋根に上って狙いをつけ始めた。アーチャーに連れられて民家に上った凛は、そこに倒れるように座り込んで、呟くように詠唱を吐いた。
「――Blumenstrau(ss) des Eises(地図に無い場所)
 防御膜ごと彼等を覆い尽くした岩槍と真空の矢が新たに生まれるのを止め、凛の顔色と同じく青白く固まる。ランサーは全てが凍った瞬間に氷を砕いて飛び出し、槍を肩に担ぐように構える。しかし、それよりも凛とアーチャーの方が速かった。アーチャーがショート・カットの女性とランサーの丁度真ん中に剣矢を射ち、剣矢は自ら回転しながら凍った大地に突き刺さる。
Vier, brennt im riesen(四番、       炎の庭     )……!」
 凛の放り投げたピジョンブラッドのルビィが砕けて氷の地に散る。そして、
「壊れた幻想」( ブロークン・ファンタズム )
 捻れ狂った剣が破裂し、炎が辺りを舐め尽くした。

 遠くで爆発した音を聞いて、白い少女はその方向を振り返る。街が赤く燃えていた。ガソリンや火薬などで出るはずの臭気を感じとらなかった彼女はかすかに微笑んで、一言だけ「さよなら」と呟いて柳洞寺の石畳を歩く。後ろを歩くバーサーカーが石畳を軋ませて続いた。ブーツの堅い靴底が、先ほどの大爆発からは静かになった夜に鳴る。鳴る。止まった。
「あら、折角『セイギのミカタ』を気取ろうと思ったのに。つまらないの……もう魔女は退治されちゃったんだ」
 柳洞寺の本堂近くは小粒の隕石でも局地的に降り注いだみたいだった。石畳は砕けて壊れて掘り返されて散らばり、土が剥き出しになっている。そこには血と土と穴でボロボロになった紫のローブを掻き抱く女性が芋虫のように無惨に転がっている。編んでいたらしい髪は切れ、ほつれ、荒れていて、纏った衣装さえまともな部分など皆無に近い。
「あーあ、これなら家でケーキでも食べていれば良かった」
 白い少女はコートを翻した。
 暗い陰で蹲った声を背に。

 長い刀身が流れるように夜を斬り裂いた。凪のように静かな世界が切り裂かれて、風の纏いが砕けて吹いた。風速五十メートルが中庭の草を払った。不可視の剣が上段から落ち、手の中で方向を変えた剣が右下から左へ抜ける。その二つをアサシンは流して崩し、鍔元を押しつけるように斬りつけ、それをスウェーで躱したアルトリアの顎を柄で打ちつける。彼女は足元を崩しながら踵を踏みつけて距離を取り、バランスの砕けた体を持ち直す。
 絶好のチャンスだというのに、アサシンは踏みこみもせず刀を構えなおしてそこで待っているだけ。歯を噛んで、アルトリアは地面を踏みつけた。力強く速い一撃が上段から雷のように落ちる。けれど、予備動作が大き過ぎてどこから来るか判っている一撃に、伏線の一つもなければどれだけの価値があるのか。
 空気が鳴いた。竜の嘶きみたいに吼えてがなった。爆発じみた音が駆け抜けて、アサシンの横に深い一筋が刻み込まれた。アルトリアが再度振りかぶり、今度は空気ではなく彼女が吼える。
「ァァアアア!!」
 空気が鳴いた。蚊の出す羽音のような微かな音が一瞬、彼女の吼えた声に掻き消されて無くなる。不透明の刀身を狙って打ちつけ、アサシンはアルトリアの攻撃を崩した。刹那、すべての音が消え去って――蚊の翅音が三度、閃く。
 ガントレットと胸部のアーマーから火花が散り、ドレスの端が千切れて消えた。不可視の剣が彼女の手から離れ、中庭に突き立つ。彼女の喉から空気が一筋抜けて鳴いた。
「よもや、これで終わりとは言うまいな――その名が泣くぞ、剣の英霊(セイバー)
 視線は戸惑い、瞳孔は芯がぶれ、眼球は焦点を合わさない。彼女が呆けたように空を仰いで、喉からもう一度空気の塊を吐いた。
「あぁ、所詮その程度。紛い物の私などその程度だ。だから認識しろ、理解しろ、ご高説のようにシロウを叱咤した自分を恥じろ。そして今一度刻め。私はたかが紛い物だ」
 アルトリアは中庭に埋まった剣を握り、引き抜いて構える。
「だから、剣の英霊(セイバー)。私を助けてくれ。私はセイバーでもサーヴァントでもないが、シロウを助けたい」
 もう一度、助けてくれと呟いて、彼女は真っ直ぐにアサシンを見る。
 風が唸った。
 黒い影が中庭を走る。鮫の鰭のような影が三枚、並んで泳ぐ。士郎は横に飛んで躱し、追走してきた黒い鮫鰭に体を切り裂かれた。
「ぁ、ぎ――!」
 鋭くて鈍い、熱くて冷たい、矛盾した痛みが傷から滲んでいく。士郎は傷を握り締めて、意識を切り替えた。全身が発火するような熱を飲み下して、士郎は自身を強化する。
「本気で、やるつもりなんだな?」
 強化された服――鉄板程度の防御力を誇る服を、易々と切り裂くほどの魔術を使用した慎二に訊いて、返ってこない言葉に士郎は落胆して、腹式呼吸で空気を吸いこんだ。
「――なら、魔術師として俺は慎二を相手する」
 士郎は跳ねるように走って、傷の痛みすら通り越す。慎二は時間差で鮫鰭を生み出した。鉄板すら切り裂く威力を持った刃を一度に何枚も出せるのは脅威だ。だが、それは当たればの話である。
 紛い物とは言え、サーヴァントの一撃をなんの魔術も無く、見取って一度は避けた士郎に、その程度の魔術がどうして致命傷になろうか。士郎は黒い刃を避け続ける。慎二をおちょくるかのようにただ避け続けた。
「はっ……ぁ!」
 アサシンの流れるような一撃を狙い、力を溜めて鋭く研ぎ澄ませた剣を振るう。滑らかで速い長刀の一撃が弾丸のように吹っ飛んでアルトリアを狙う軌道から吹き飛び、アサシンはそれも丸い軌道を描かせて手から長刀が離れるのを防いだ。恐らく、この防戦で堪えるだけが精一杯の方法は最善ではないだろう。だがリスクが最も少ないのもこの方法だった。
 アサシンに決め手になるような攻撃が無かったのならば。
 彼は八艘のよう長刀を肩と平行に置き、セイバーに背を向けた異の構えを取る。
「さすがに剣の名を冠するだけのことはある。ただの技では勝負がつかぬか。ならば見せてくれよう、我が秘剣」
 アルトリアの背筋を氷が這ったような寒気が襲う。うなじが痺れるように痛んで、頭の中で鐘を鳴らすように警告が鳴る。彼女は剣を構え、冷や汗が滲む額を拭いたいと思ったがそんな暇は無かった。より寒気が増し、うなじに針が突き刺さったような刺激が訪れた途端、彼女は跳んだ。
「――――――秘剣、燕返し」
 円を描くような滑らかで鋭い攻撃が三刃、まったくの同時にアルトリアを襲った。一つめを跳んで躱し、二つ目を剣で受け、三つ眼で脇腹を斬り裂かれ、彼女は地面に倒れこんだ。胸部のアーマーを掠め鎧と鎧の間を斬り裂いた一撃は腰の三分の一にまで達し、彼女はあまりの痛みに強く噛んだ歯の間から苦痛の呻きを洩らす。彼女は一度口を開けて大きく叫ぶと、それでも手を離さなかった不可視の剣を杖代わりに地面へと突き刺し、立ち上がる。口から垂れた血が剣の刀身をなぞって一部の輪郭を浮かび上がらせた。
「ほう。良くぞ我が秘剣を躱した」
 関心したようにアサシンが口端で笑う。そしてもう一度背を向けた八艘の構えを取り、冷たく彼女を見下ろした。
「しからば……もう一度受けよ、我が秘剣」
 ざらりと黒い刃が撫で上げて士郎のトレーナーを刻んだ。既に百を越えて躱し続け、士郎の息は上がっていた。対して慎二はそうでもなく、ただ遠くで黒い刃を生み出しては士郎目掛けて放るだけだ。
「どうした。魔術師として相手してくれるんじゃなかったのかよ、衛宮ぁ!」
 眼の端で士郎はアルトリアが血を撒いて地面に倒れこむ姿を捉えて、軋み砕けよとばかりに奥歯を噛み締める。士郎は早くアルトリアを助けに行きたいと思いながら、空気をくれと急かす肺を宥めて手の平を握り締める。せめて木刀があれば、と。士郎と慎二には絶望的な差がある。ダメージ覚悟で跳びこんだとしても、気を失わせるような一撃が届かないのである。刻まれて丸出しになった二の腕から滲んだ血が黒いズボンに垂れ、色はつけず液体が冷たく滲んでいく。
「トレース……、投影……、開始(トレース      オ ン )――」
 はったりに過ぎない。ブラフに過ぎない。張りぼてに過ぎない。嘘に過ぎない。少なくとも、衛宮士郎が認識していた投影魔術とは外見だけを真似た空っぽのゴミを生み出す魔術でしかなかった。士郎は木刀の生み出したつもりで慎二に投げつけ、走る。そして、もう一度ブラフを掛ける。
「――――――秘剣」
「……投影、開始(トレース  オ ン )
 防ぐイメージは決まっていた。所詮は岩の塊であったけれども、鋼色の巨人がそれを振るう姿はあまりにも圧倒的だったから、士郎はそれを造った。黒い岩の塊を、名前など無い斧剣を。
「燕返し――――!」
 斧剣が地面に突き立ち、アルトリアが低く飛んで剣を構え、長刀が三本、夜に走る。
 慎二に投げつけた木刀が黒い刃に斬り裂かれて消える。アルトリアが一撃を掠められて二撃目を剣を飛ばされながら防ぎ、三撃目に歯を噛んで覚悟を決めながら、来なかった一撃に疑問を寄せる。最後の一撃は、確りと存在した斧剣の半ばほどまでを斬り砕いてアルトリアまで届かず消えた。
 必殺を防がれたというのに、アサシンの眼には喜色が浮かんでいた。それに引かれるように口端にも笑みが浮かび、狙ってもいない硬い存在を斬ったせいで刃毀れした刀を肩に担ぐ。
「なんとか、防いだか」
 息を吐いて肩を揺らしながら、士郎は汗塗れの体を崩して膝を地面に押しつけた。投影魔術の思わぬ効果に内心驚きながらも、それを見せる余裕も無く、表情を歪めて立ちあがる。過呼吸気味の喉がひゅるりと鳴って、士郎は一度咳き込んだ。
 アルトリアは少々呆然としながら無事だったことを喜び、そして士郎に助けられたことに感謝と無力を感じる。セイバーの持つ治癒能力のせいか、異常なほど早く治りかけていた脇腹に手をやって傷と痛みを再認識する。半人前の魔術師と紛い物のサーヴァントで相手できるのは宝具の一つも持たず、しかし強力無比な宝具にも劣らない必殺を持つサーヴァントでも少々あまる。あまりにもアサシンとはかけ離れたイメージの「佐々木小次郎」という剣士を相手に回し、魔術師ですらないのにただ一つ魔術を使う一般人を相手にこの様だとアルトリアは自嘲した。恐らく向こうも正式な手順で召喚されたサーヴァントではないだろうが、それでも必殺を使う。対してこちらは武器が見えないというだけの特徴しかなく、宝具の発動のさせかたすら判らないという具合。外道対邪道なんてらしい(ヽヽヽ)と、彼女は笑った。
「も、う、魔力が尽き、そう、なんだ、けど、次で、決めれ、る、か?」
 荒い息で言う士郎にアルトリアは返事をして構える。
「ええ、任せて下さい。必ず決めて見せる」
 士郎は体全体で息をしている。頭からつま先まで全てを使わねば呼吸などできないというように、肩を揺らしながら呼吸をしていた。だから、それならば呼吸なんて要らないと切り捨てた。今しなければならないことはアサシンを倒す事で、呼吸をすれば倒せないというなら要らないと、息を吐けるだけ吐いて呼吸を止め、クラウチング・スタートのように体を丸めて低くする。同じようにアルトリアも、息を吐いて呼吸を閉ざし、地面を踏み付けた。
 黒い刃が走る。士郎とアルトリアは同時に走り出した。流石に速度が違いすぎるが、それでも黒い刃よりも余程速い。士郎の軌跡を黒い刃が追い駆け、背中と太腿を傷つけて消え去った。それでも速度は落ちない。
「秘剣――――」
 八艘から牙を剥き、三つの刃が空気さえ斬り裂く。
「――――燕返し」
 アルトリアは最初と同じように、真正面から襲う一つ目を避けて払ってくる二つ目に飛び込むようにして防いだ。そして円を描く三つ目が地面から彼女を狙おうとして、斧剣を斬り裂く。其処しかなかった。アルトリアを囲むようにして狙うならば、三撃目は――どうしても遅れる二の太刀はそこを通らねばならなかった。アサシンは刃毀れした刀身が遅い速度で斧剣を斬り裂いた感触を思ってから小声で呟き、遅れていた士郎が目の前に来た事に意識を引き戻し、長刀を構える。
投影、開始(トレース  オ ン )――!」
 士郎の手に、刃毀れなどしていないアサシンが持っていた長刀が現れた。アサシンは刃毀れした長刀でそれを打ちつけると、ほとんど速度任せだった士郎は体を崩して地面に倒れこんだ。地面に着地したアルトリアが中庭を踏み砕いて土塊を後方に跳ね上げ、アサシンに迫る。地面から昇るように斬り上げた。
「おぉぉ!」
 アサシンは似合わぬ咆哮を吐きながらアルトリアの一撃を打ちつけて逸らす。だがそれだけ。燕返しを放ち、士郎の攻撃を無効化し、アルトリアの一撃を防いだ彼にはもはや余白が無い。そして、何度も何度も士郎に決められたコンビネーションの脇腹への一撃で上半身と下半身を真っ二つにされて地面を転がった。アルトリアは更に踏みこんでアサシンの首を薙いで飛ばすと、閉ざした呼吸を再開させる。
「っっっはぁ……!」
 士郎は地面に寝転びながら先程よりも酷い過呼吸に苦しみつつ、意識を保っている。
 アルトリアも剣を地面に突き刺してそれを支えにし、息を整えるように落ち着いていた。
「嘘だ。ウソだ。なんでお前が負けてるんだよ。なんで僕が負けてるんだよ」
 呆然として慎二は呟き、精神病患者の発作みたいにうめいた後、叫び声を上げて壊れた中庭から逃げ出した。
 アルトリアは手の中の剣を消すと、士郎と同じように地面に寝転がった。白銀の鎧が音を立てて鳴り、彼女の熱で温まったそれが地面の冷たさでこごえていく。白いもやが二つ、夜に上がる。擦れた呼吸音が壊れたオーディオ・プレイヤーのように繰り返され、やがて終わった。
「あぁ、私の鶏の照り焼き……」
「また、作るって」
 今更思い出して哀しげに言い、士郎は笑った。アルトリアも笑った。その瞬間だけは、自分たちがマーブル・ファンタズムという非現実世界から抜け出せない不幸な人間だということを忘れて、本当に心の底から笑っていた。そうでなければやってられないとばかりに。

 間桐臓硯は暗闇で嗤った。皺の深い顔により深く皺を寄せ刻み込み、口端を吊り上げ切って笑う。柳洞寺の陰で彼は白い少女が去ったのを見届けてから腐った声で高々と大きく笑う。彼は血塗れの魔女に近寄り、呵呵と奇妙な笑い声を発しながらその周辺に自らの血を撒き散らす。どろどろと寒天か何かで緩く固めたような血はどす黒く濁り、異臭さえ発している。魔女は朦朧とした意識の中で顔を引き攣らせ、体を小さく縮こまらせる。これ幸いとばかりに彼は撒き散らした血でもって幾何模様を描き、小さく呟き始める。
 腐った血はぼんやりと光り出し、風が渦を巻く。光が幾回も弾け辺りに広がった。やがて全てが埋め尽くされる中で彼は口上の続きを唱え、光が収まり、爆発のような勢いで衝撃だけが掛け抜ける。後には、腐った血と腐った老人と血塗れの魔女が残っただけ。
 血塗れの魔女の瞳は何も映さない。星の光も月の輝きも闇も臓硯も木も寺も何も映さない。ただ彼女は――否、彼女の身体は蠢いて縮こまった身体を広げる。その次の瞬間、彼女の腹を食い破って、同じく血に塗れた白い髑髏と黒い衣装がこの世に生まれた。
「キキキ――――――、キ、キキ――――キ」
 機械仕掛けの猿のように鳴いて、白い髑髏はその面を傾げて臓硯を覗き込む。
 臓硯はただ嗤ってマスターである証の令呪を見せる。
 そして失った。
 根元から拉げて飛んだ腕が石畳に転がる。蝿が飛びつきそうな腐った匂いが転がる。それを太い指が摘んで、皺くちゃで小さな手を力が余って握りつぶした。
「脳まで腐ってるっていうのは本当の話なのかしらね、マキリ臓硯。帰る姿を見せただけで引っかかるなんて」
 白い少女は言う。紫色のコートを翻して、彼女は恭しく礼をして年上過ぎる彼に形だけの敬意を見せる。
「アインツベルンの娘っ子か……」
「そう。イリヤスフィールと言うの、良い名前でしょう? もっとも、これから死ぬあなたには関係ないか」
 残酷に笑みを浮かべバーサーカーが潰した腕を掴み、彼女は息を吸いこんだ。
「『主代えに賛同しなさい』、『マキリ臓硯を完膚なきまでに殺し尽くしなさい』」
 イリヤが言い切ると、腐った腕から鮮やかな令呪の色が消える。そして白髑髏が一つだけ頷くように面を傾げると黒い外套に隠し、包帯で巻き折りたたんだ腕の封印を解いて宝具を発動させる。
 妄想心音( ザバーニーヤ )――それが捕らえるのは、エーテル塊で鏡映し(双影響)に作り出された虚像の存在である。白髑髏は作り出された醜い蟲を握り潰すと、間桐臓硯は一度だけ跳ねるように痙攣してその場に倒れ、消えた。
「ごくろうさま」
 ぐちゃり、と白髑髏は岩の塊で地面との間にサンドウィッチされた。赤いペンキを傷だらけの石畳にぶちまけて、錆びた鉄みたいな臭いのトマト・ソースに化けて消える。
「さて、お家に帰ってお風呂入らなきゃ。腐った臭いなんて洗い流すに限るわ」
 バーサーカーの肩に乗って、彼女たちは今度こそ柳洞寺を去った。

 ヘッド・ギアを外して、間桐慎二は電灯も点いていない部屋のベッドの上で体育座りになり、言葉を繰り返す。
「ちくしょう、なんで……僕じゃダメなんだ」BR>  折り曲げた腿に顔を埋め、前頭部を両腕で抱え隠しながら内側にくぐもらせて呟き、最後には涙声になっても繰り返しつつ、彼は疲れてベッドで横になり、そのまま寝た。

 継続した魔術の行使を終え、一度アーチャーに連れられて家に戻り霊脈で十数分ほど体を休めると、幾許か楽になった体を引き摺って体に強化の魔術を掛けて軽快に走り出す。といっても、それは一般人レヴェルの話で遠坂凛が強化を施した万全の状態とは比べ物にならないが。
「無茶はするなよ。君の体は随分と本当ではないんだ」
「馬鹿みたいに強力な障害物に阻まれて、挙句また走らさせるような距離になって、今、無茶しないでいつ無茶しろって?」
 一度止まって息を吐きながら凛は言い、アーチャーの偽・螺旋剣で溶けたアスファルトを通るとまた走り出す。がたがたと崩れたフォームで彼女は聖杯戦争を観覧しようとしている人々を駆け抜けて、衛宮家へと急いだ。
 彼女が衛宮家に着いて息を整えていると、中からは喋るよりも大きな声でやり取りしあっているのが聞こえる。
「畳は直せるなら直したいんだけどなぁ、新しくすると高いし」
「テーブルは……廃棄ですね。鉄板で補強しても使えなくては意味が無い」
 それから重いものが地面に落とされる音が聞こえ、凛は一度だけチャイムを鳴らして返答を待たずに中庭に入った。
「こんばんは。お邪魔してもよろしいかしら?」
 額に青筋を浮かべ引き攣った笑顔で彼女は言った。
  1. 1970/01/09(金) 00:00:00|
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SEEN-2.75 「Inner mind」

 キレイな曲線などどこにもなく、がたがたと形の崩れた爪に慎二は歯を立てる。苛立った時に出る彼の癖だった。もう丸一日ほど彼はマーブル・ファンタズムにログ・インし続けている。それというのも、昨日仕留め損なった士郎を今日の夜一番に殺しに行くためだった。
 発端は別にどうということもなかった。聖杯戦争――魔術師のためのグランド・クエスト・イヴェント。願望機を求めての殺し合いに、彼が参加資格を祖父から譲られたというだけの話だ。慎二の祖父、臓硯が呼び出したサーヴァントは、アサシンらしくないアサシンだった。当然、彼は落胆した。インターネットで得た知識によれば、アサシンというのは決まって『ハサン・サッバーハ』という存在が召喚されるはずだったのだから。元からあまり強くはないアサシンに加えて不完全品を押しつけられたという意識で、慎二は爪を噛んだ。
 慎二は昨日の夜、アサシンが士郎を追いかけてからのことを知らなかった。知っているのは、アサシンが自分の血と返り血を浴びて着物を赤黒く染めて返ってきたことぐらいだった。爪を挟んで離れていた歯が出合った。
 サーヴァント・アサシンは非常に優秀だった。魔術師の素質を持たない慎二に譲られて能力が落ちているとはいえ、宝具を使わなかったランサーと互角に遣り合ったアーチャーと戦って、無傷とはいわないがそれでも手酷い傷は負わずに帰って来たのだ。
 慎二は手に入れたつもりだったのだ。常人には、まして初心者のプレイヤーなど簡単に蹴散らす強大な力を。祖父に譲られた当初は嬉しさだけがあった。次にあったのは自分が聖杯戦争に、素質がないから憧れた魔術師の、そのためのイヴェントに参加しているという喜びで、その次にあったのは手に入れた力を使ってみたいという好奇心だった。
 標的が士郎だったのは、ちょうど良かったからだ。自分が羨望しつくしてやまない存在になれる衛宮士郎、弓道部で一番良い腕を持っているくせに家庭の都合とやらで辞めた衛宮士郎、幼い頃に引き取られてきてからずっと好きだった桜が好きな衛宮士郎、そして現実の痛みを伴なうマーブル・ファンタズムの世界、ちょうど良かった。それが失敗した、片手の爪が全て深爪になった。

 フローリングの床上にしかれた絨毯に座りこんだまま、呼吸だけを繰り返す慎二を、間桐桜は怪訝に見ていた。彼がマーブル・ファンタズムに随分と入れこんでいるのは知っていたが、一日中、それも学校を休んでまでやるほどではなかったはずだと彼女は思っていたからだ。
 マーブル・ファンタズム内でものを食べれば空腹感は消えるし、味覚的にも完全に再現されているから満足感は得れる。しかし実際に水分や栄養を補給したわけではないから、もちろん体に悪い。一部のプレイヤー……いわゆる廃人と呼ばれる存在はマーブル・ファンタズム内で満足感を得て、二日ほどプレイし続ける者も居る。が、ヴァーチャル・ギアの機能で連続四十八時間ダイヴを続けた場合、生命維持機能として強制的に意識が浮上することになっている。それから一時間ダイヴ不可能になるから、その間に廃人プレイヤーは栄養補給をし、また何時間もダイヴし続けるという。
 桜は慎二がそういうプレイヤーになったのかという心配はしていないが、今日、衛宮士郎が学校を休んだことに関係があるんじゃないかと考え、そして気のせいであると結論を下して一階に行き、夕食の下ごしらえをすることにした。

 今朝はマーブル・ファンタズムに長く居過ぎてに行けなかった分、夕食は手間をかけて作ります。と桜が意気込んで衛宮家の扉を開きながら挨拶をして居間に入ると、そこには難しい顔をして頬杖をついている切嗣の姿があった。普段はあまり真面目な顔も見せない彼が、眉間にしわを作り、口を引き締めている姿というのは実に珍しい。それこそ普通に暮らしている一般人が馬や牛の出産に立ち会う可能性よりも低いのではないだろうか。
 ともかくそれに出会ってしまった桜は、自分が来たことも気づかない切嗣の様子にたじろぎ、もう一度挨拶をするのも気まずい状況に置かれ、妙にそわそわとする。切嗣が居る手前、居間と廊下を行ったり来たりとすることも出来ず、彼女はもう一度小さな声で挨拶をしてから台所に入り、お茶を淹れて差し出すことにした。
 テーブルに愛用の湯のみを置かれてやっと桜に気づいた切嗣はいつもの笑顔で挨拶をし、そのまま飲むには少々熱い緑茶を冷まして啜った。ゆっくりと啜って息を吐いた切嗣はたっぷりと黙り、しわが集まりそうになった眉間を揉みほぐす。ゆらゆらと湯気を立てる湯のみを握り締めながら、切嗣はもう一度深く息を吐いた。
 相当深そうな切嗣の悩みに、桜は簡単に立ち入っていい話じゃないと判断して当初の目的どおり夕食を作ることにした。彼女は慣れた手つきで包丁を上手く使いながらも、頭に引っかかっていることがあった。衛宮士郎の姿が見えないのだ。それは十分に可笑しいことなのだ。眠気の強い方ではない士郎は昼寝などほとんどしないし、出かけているのなら玄関に靴は無いはずだが、しっかりとあった。つまり、どう見ても可笑しい状況だった。
「そういえば今日、先輩休みしたけどどうかしたんですか?」
 お茶を飲み干そうとしていた切嗣の手が止まり、眉間にしわが寄る。どうやらそれが悩みの種だったらしいと桜は気づき、無邪気に立ち入ってしまったと内心で反省しつつも、包丁で刻む手は止めない。あくまでも切嗣の様子に気づくまいとしている。
「……起きないんだ、ヴァーチャル・ギアつけたままでね。今までは遅くても、一時ぐらいには終わらせてたのに」
 桜はそれを聞いてようやく手が止まった。まるで今にも切れてしまいそうな綱が、ギリギリで繋がっているのを感じたからだ。おかしいと彼女は考えつつも手の動きを再開させる。しかし、思考はどこかにいったままに帰ってこないようだった。
 結局、切嗣と桜と大河の三人だけで取った夕食は妙に静かで、桜は、どこかにとらわれたままの心はホンの少しずつ何かを手繰り寄せるのに集中していた。
 帰るや早々、桜はヴァーチャル・ギアを被ってダイヴした。いつものティ・カップとポットには目もくれず、彼女はリヴィングから廊下を走って遠坂家を出る。夜はもう始まっていた。

 遠坂凛は心の中で愚痴をこぼし続ける。空はようやく気づいたかのようにオレンジ色に変わろうとした頃で、彼女はゆっくりと下校している最中だった。その姿は青春ドラマにでも出てきそうなほど絵になるが、心の中は道頓堀の川にぶちこまれてもなおその存在感を保ち続けるほどの毒に満ちていた。その愚痴の原因である士郎は、既に彼女の心の中で瀕死から死亡状態まで二、三度ぶっ殺されている。
「ああもうまったく、なんで休んでるのよ」
 ついに体内から溢れ出した言葉はずいぶんと低い声で、地を這いずりまわるトカゲの背中にでもひっつきそうな感じだ。その場で立ち止まった彼女は様になった構えをし、中国拳法独特の震脚で控えめに音を立ててから何もない場所へと腕を突き出す。打った空気と上着が揺れて音を立てた。 彼女は深呼吸をして気分を落ちつけ、さっきよりも少しだけ速く家へと急いだ。

 しっかりと温めてあったポットにお湯を注いだ凛は、ふたをして正確に時間を計る。ゆっくりと茶葉が味と香りをお湯に染める作業を待ちながら、彼女はテーブルの真ん中にある四角い缶からクッキィをつまむ。ちょうど一分経ったぐらいでポットの紅茶をサーブ用のポットへと移し、ティ・カップにポーションのミルクと角砂糖を一つ加え、砂糖を溶かすように紅茶を注いだ。
 それを一口飲んで彼女はため息を空中に吐いた。落ちつきたいときに……不安なときに彼女が作る角砂糖を一つ入れたミルク・ティは、今回もしっかりと役目を果たして落ちつかせてくれた。
 もう一つクッキィを食べて彼女は椅子の背もたれに寄りかかり、思考を深くうずめていく。
「材料が少なすぎるか。ホームズでもあるまいし」
 こわれたペン一本からどうにかしろと言われても、彼女には無理な話だった。それなりに頭の回転が速くはあるけど、と心の中で付け足したが。 少なくとも、現時点で彼女はなにが起こっているのかまったく判らないでいた。学校なんて休みそうもない衛宮士郎が学校を休んだ。そして昨日マーブル・ファンタズム内で、十二分に痛めつけられてから少々ドジなサーヴァントに連れられて恐らく助かったのだろうことぐらいしか、彼女には考える材料がなかった。しかし、そのどれもが、どうして学校を休むようなことになったのか繋がらないと彼女は眉をひそめ、温くなったミルク・ティを飲み干した。

 しっかりと夕食をとった後、凛はヴァーチャル・ギアを手に取る。ため息を吐きそうなほど使いこまれ、そして使いなれた手際で彼女はギアをかぶる。
 彼女にとって、それは単なるコミュニケーション・ツールのはずだった。遠くに離れた人とまるで会っているのように話せるための道具に過ぎなかったヴァーチャル・ギアとマーブル・ファンタズムは、今や彼女にとって生活の一部になっている。
 無謀をして三度死んだことのある彼女は心臓にナイフを突き刺すようなイメージを頭に描き、自制せよ、と心に刻んでからこめかみ近くのボタンを押して、遠坂凛はマーブル・ファンタズムにダイヴした。
  1. 1970/01/08(木) 14:00:00|
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SEEN-2.5 「Blade polish」

「さて、どうしようか。情報はこれ以上ないし、昼間は参加しているプレイヤーが居る確率は低い。手の打ちどころがないんだけど」
 食器を洗い終わって落ちつき、すっかりとぬるくなってしまった玄米茶を飲みながら言う。空いていたお腹が満たされたせいか、士郎の表情は少し緩んでいるように見える。アルトリアは緩んでこそいないが緊張感をなくしていて、満たされたお腹のために思考が微かに鈍っているのか状況が拙すぎるのか、具体的な案は出ない。
 しばらく悩んだ後、士郎は唸るような低い声をテーブルに響かせてから声を切り、軽く頬を叩いてからくだけた姿勢を正す。
「ちょっと道場で筋トレしてくるから、アルトリアはくつろいでてくれ」
「あ、私も行きます。この体に慣れたいので」
 士郎はトレーナーと少し大き目のズボンの格好のまま、アルトリアは外すことの出来ない鎧を合唱させながら衛宮家にある道場に向かった。
 たっぷりと二十分かけて士郎は柔軟運動を終え、すっかりと温まった体で筋肉トレーニングを一通りこなすと、深呼吸をして少し弾んだ息を整えた。アルトリアはその鎧のせいで柔軟はおろか基本的なトレーニングも出来ないから、壁にかけてあった竹刀を握って唐竹から突きまでの九つの攻撃方法を何度も確かめ、竹刀の軽さと身体能力がどれほどかというのを大体掴んだ。
 士郎はそれを見て自分も壁にかけてあった竹刀を一本掴み、上段から振り下ろしてみる。アルトリアとは比べものにならないほど遅い攻撃は、やはりサーヴァントには通用しないだろう。魔術で身体能力を強化して全力で逃げれば、全身傷だらけでどうにか済むか済まないかという差なのだ。一朝一夕で追いつけるはずがない。
「アルトリア。もし良かったらなんだけど、戦い方っていうの教えてくれないか?」
 逃げる気など士郎にはなかった。戦闘ではともかく、冬木市から逃げることなんてもう考えてなかった。だから、自分の身を守れる程度の力が欲しいと望み、現在ある材料では、知り合って数時間と経っていないアルトリアに縋るという方法しか彼は思いつかなかった。
 アルトリアは士郎の申し出を少し悩んでから受けることにした。
 彼女にはまだ体が上手く使えなかったし、教えることが出来るのは自分の力で身につけたものではなく、サーヴァント・セイバーとしての能力をある程度アルトリア自身が飲みこめてから、それを不確かに竹刀での戦闘でぶつけるという方法しかない。つまりは、教えると言うほどの自信がなかったのだ。
 士郎は道場に入ってからゆっくりと柔軟をこなし、アルトリアは身につけた装備のせいで筋肉トレーニングも柔軟も出来なかったため、壁にかけてあった竹刀を使って今のうちに飲み込めることを飲み込んでしまうことに決めた。
 彼女は唐竹から突きまで一通りの攻撃方法を何度か試し、身体能力とセイバーとしての感覚に自分が少しずつついていけるようになったのを確認しつつ、身体(セイバー)が覚えているかぎりの攻撃のコンビネーション等を試した。
 約二十分ほどもすると士郎の柔軟も終わり、二人とも軽く息が弾むほど身体が温まった様子で向かい合う。士郎は壁から竹刀を取ってごく普通の正眼に構え、アルトリアは両足を地面につけたままで、正眼より竹刀をやや右斜めに寝かせて引いた形で構えた。
 士郎は少しずつ体を前に倒し、アルトリアは体勢を深くして脚をバネにする。ゆっくりと風船に息を吹き込むように道場内の空気が張り詰め、士郎の重心移動で床板がしなった時、アルトリアはバネを一気に開放した。士郎が反応する間もなく彼女は手を返して竹刀で斬り上げ、士郎の竹刀を道場の隅まで弾き飛ばす。
「あれ、ちゃんと握ってたはずなんだけどな……」
 アルトリアの速さよりも自分の竹刀がいとも簡単に飛ばされたことに士郎は眉をひそめ、何度か手を握っては開いて握力を確かめる。
 士郎は転がった竹刀を拾ってしきり直して対峙するが、またも簡単に竹刀を飛ばされた。士郎は何度も全力をこめて握るが、それに結果は反映されず、ただ何度も竹刀が道場を転がるばかり。何度も全力で握ったせいで手は痺れるが、それを待たずにアルトリアは構える。自分が誘ったのだから待たせることは出来ないと士郎はそれに合わせ、正眼でアルトリアの前に立つ。
 同じタイミング、同じ間合いの詰め、同じ攻撃方法、同じ結果、それを破壊するために、士郎は違う行動を取った。受けとめるのではなくそれを避けたのだ。アルトリアの斬り上げは空を斬り、手が返って逆袈裟から士郎の竹刀を打ち払った。その竹刀を避けても次に動ける余白がなければ結果は同じで、それも意味がない。魔術で体を強化して余白を作っても、その次に余白がなければ袋小路に向かって突き進むだけなのだ。士郎は複雑に絡まった毛糸を解くような気持ちで竹刀を握り、無言のアルトリアと対峙する。
「せぇいッ!」
 難解な漢字と言葉が並んだ小説を前にしたような気分に渇を入れ、士郎は正眼に構える前に一度上段から竹刀を振り下ろして気合を入れた。静寂だった道場にはひどく響き渡り、アルトリアはその気合に薄く口端を引き上げた。不器用な自分の問いを十分に理解した、と嬉しく思って。
 士郎は六度方法の違う回避方法を行使して六度竹刀を弾き飛ばされ、アルトリアの攻撃の威力が十分に乗る前に抑えようとして激しく弾き飛ばされた。そしてその次の対峙で士郎は竹刀ごと板張りの床に転び、荒い息を正すでもなく大の字で胸を上下させる。
「抵抗は無意味だ」
 不様に荒い息を撒き散らして転がる士郎に、アルトリアは言った。
 ――現実を受け入れろ、衛宮士郎。アルトリアは言ったんだ、「抵抗は無意味だ」って。お前は弱い。付け焼き刃の修行で強くなれないから諦めろと彼女は言ったんだ。違うだろう、そうじゃない。彼女は笑ったんだ、俺が気合を入れたときに笑ったんだ。飲みこめ、判れ、理解しろ。堅いすじを柔らかくなるまで煮こんでそれをどろどろになるまで咀嚼して判れ。真意を知れ、深意を識れ。アルトリアのヒントを貪り尽くせ。
 寝転がったまま士郎は深呼吸をし、息を整えた。そしてヘッドスプリングの要領で立ち上がり、床に落ちた竹刀を拾う。
「悪い、待たせた」
「いえ、待ってはいません」
 それよりもようやく待っていたものが来たとでもいう風にアルトリアは士郎を見る。そして、もう一度口端を引き上げた。
 声も終わり、再び静寂に戻った道場でアルトリアは床板を軋ませ、同じ行動をとって斬り上げる。士郎はそれに竹刀を合わせ、まるで沿わせるように竹刀を滑らせる。そして中ほどまで来た辺りで全力で弾き、アルトリアの竹刀を反らした。そのまま士郎はアルトリアの胸部のアーマーに竹刀を僅かに擦らせると、返ってきた竹刀でわき腹を打たれて悲鳴を残し、床に沈没した。
「たった一回ですシロウ。たった一回ですが、貴方は魔術で補強したわけでもないのに、私に――サーヴァントに届いた」
 それは誇るべきことです。と続けるアルトリアの声を聞きながら悶絶していた士郎は、それだけと聞き終えて限界だったのか眠りについた。
  1. 1970/01/07(水) 14:00:00|
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SEEN-2.25 「Traffic limitation」

 朝日の輝きに少女は目を覚まし感じたことは、そう簡単にはどうにもならないか、と自らの安易な希望を打ち砕きつつ納得することだった。しかたなく彼女は現状に納得し、朝日を窓越しに浴びながら背を伸ばす。ふと気がついて同じく待合室の椅子で座っていたはずの士郎は地面に転がっていて、特に支障もなくのんきそうに眠っている。
 この状況で士郎に相談すべきかすべきではないか、そして彼に関わるべきか関わるべきではないかを少女が悩んでいると、士郎はカーテンの隙間から差しこむ日の眩しさに、眉をひそめて寝返りをうつ。ちょうど寝返り椅子の影に顔が入ると、士郎はひそめた眉を緩めてのんきに眠る。それを、なんて素敵な寝姿でしょう! などと少女が思うはずもなく、むしろ一歩足を動かせばけたたましく鳴るようなその無骨なブーツで頭を踏みつけてみようか、と思わせる。彼女は上げた足を静かに下ろし、一つ深呼吸をしてから士郎の体を揺らす。
「起きてください、もう朝は始まっています」
 少女の手に入った力は思った以上で、士郎の足が何度か椅子の足にぶつかる。その衝撃と痛みで士郎は目を覚まし、ちょうど目を開けた場所にいた少女を見つめるように目を開いたまま固まっている。たしかに知らない人間が起きた時に目の前にいたらびっくりするだろう。しかし士郎はそれに驚いたのではなく、少女のリアルに僅か及ばない作り物めいた感じと、その背後のやはり作り物めいた天井のせいだ。
「俺、マーブル・ファンタズム入ったまま寝ちゃったのか」
「そうではないでしょう」
 少女が自分の期待したリアクションとは違う士郎の反応に突っ込みを入れ、士郎の体を椅子の上まで引っ張り上げる。士郎はぼんやりとした表情で周りを見渡し、ああ、ここが自分の家じゃないのだと理解した後、壁にかけられたアナログの丸時計を見て目を開く。
「うわ、もう九時半過ぎてる。遅刻か……」
 少女は耐え切れずにガントレットを装着したままの手で士郎の頭を掴み、軽くシェイクする。上下左右前後斜め、士郎の頭が全ての方向に二度ほど動き、ようやく士郎は完全に目覚めた。
「あー、気持ち悪い。じゃなくて。俺、魔術使ってぶっ倒れたのか」
 そういえばそこからまったく記憶がないと士郎が思い当たり、少女はようやく手を離す。
「すくなくとも、私がこのエリアへ来たころには血だらけで地面に座り込んでいましたね」
 二人は自分の持っている情報を出しては整理しつつ、今現在の状況を把握する。士郎は今現在ログ・アウト出来なくなっているのかを確かめようとステータス・ウィンドウを開き、幾つかの操作をして本来ならそこにQUITとあるはずの表記が元から無かったかのように消されていたことを理解した。そして少女は自分がイングランドのプレイヤーであることと、何故ここに居るのか、そして何故自分がサーヴァントと呼ばれる、本来ならばNPCがやる存在になっているのかという疑問を士郎に打ち明けたが、まだマーブル・ファンタズムをプレイし始めてたった一ヶ月であり、単なるプレイヤーの彼に判るわけもなく、謎は謎のまま残った。
「うーん、この場合どう呼べば良いんだろう。君はサーヴァントとしてはセイバーと言う役割だけど、プレイヤーとしてはアルトリア・カストゥスだし」
 眉をひそめたまま士郎は首を傾げ、そのままでは椅子から落ちるのではないかと思うほど上半身を倒している。
「私はあくまでもアルトリア・カストゥスという一人の人間ですから、アルトリアと呼んでくれる方が好ましいです」
「うん、わかった。じゃあこれからアルトリアって呼ばせてもらう。俺もファースト・ネームの士郎で良い」
「では、シロウと」
 少しおかしなイントネーションで、アルトリアは士郎の名前を呼んだ。
 その後二人は雑談とも相談ともつかない曖昧な内容で言葉を交し合い、結局最初に出た情報以上に確かなものは無く、状況は横一線から一向に上がらなかった。
「んー……このまま考えても判らないし、家にこないか?」
 アルトリアは自分がこの地域をまったく知らないことと、少しの間会話した士郎があまり嘘を吐かず、親切な人間であることを判っていたからありがたくその申し出を受けた。

 アルトリアは自分が思っていたよりも大きな家に感心してから、失礼とは思いつつも、何故か脱げないブーツを履いたまま士郎の家に上がる。アルトリアが謝ると士郎は外れないなら仕方がないと笑顔で言う。彼女が思ったより士郎は大分良い人だったらしい。それに彼女のブーツには汚れが付いていなく、土足でもスリッパや靴下で歩いたのと変わらない状態だったというのもあるだろう。
 士郎は二人分お茶を淹れると、電気釜に洗った米を入れて早炊きにセットしてからスウィッチを入れる。
「ちょっと待ってて。ご飯炊ける時間になったらおかずも作るから」
 淹れた玄米茶を飲みつつ士郎は言い、アルトリアは昨夜の七時から何も食べていなかったため、ありがたく頂戴することにした。
 マーブル・ファンタズムの世界――つまりゲームの世界とて、料理を作る作業は現実と変わりない。調味料の類は現実と遜色なく、火加減が悪ければ焦げたり生だったりし、ご飯の水加減を間違えれば芯が残っていたりおかゆのように柔らかかったりするのだ。
 現実で料理が下手ならばこっちでも下手であり、こっちで上手く出来るようになれば現実でも上手く出来るようになる。すなわち、現実でまだ小学生の内だった頃から台所を預かっていた士郎の腕は、こっちでも健在であると言うことだ。もっとも、彼がこっちでその腕を振るうことはほとんどないのだが。
「俺もお腹空いてたから早く出来るものにしたけど、味は悪くない……と思う」
 テーブルに並べられたあじのひらき、焦げ一つない出し巻き卵、ほうれん草のおひたし、長ねぎとおかかの入った納豆、長ねぎと油揚げのみそ汁に、茶碗いっぱいによそられた白米は、アルトリアの胃と鼻腔を刺激する。訳あってあまり美味しいと言える食事を食べていなかった彼女にとって、テーブルに並べられたこれらの料理はひどく魅力的だった。
 士郎は飲み干したお茶を淹れなおすと、両手を合わせて食事の挨拶をしようとして、箸を手に戸惑っているアルトリアに気づいた。
「箸の使い方が判らなかった?」
「あ、いえ。判ります。えーと、日本では食事の前に挨拶をするのですよね。『いただきます』でしたか」
「うん。いただきます」
 士郎はしょうゆを手にとって納豆にかけかき混ぜていると、アルトリアは少しぎこちないながらも上手に箸を使い出し巻き卵を一切れ掴み、口に運ぶ。
「美味しい……」
「良かった、口に合ったみたいだな」
 そう言ってかき混ぜた納豆をご飯にはかけずに口には運び、糸を巻き切ってから自らも出し巻き卵を口にして「美味しく出来てる」と頷いた。
 アルトリアは最初の一言を呟いてから言葉を発さず、一口食べては頷いて幸せそうに料理を口に運んでいく。士郎は半分ほど白米を食してから納豆をご飯にかけ、掻きこむように食してから味噌汁を飲んであじのひらきを解して食べる。純和食の食事は彼がとても落ちつく食事で、個人的な好みでいえば、技術的には劣るが他に作れる洋食よりも好きな部類だった。
 アルトリアが一杯ずつご飯とみそ汁をお代わりして食事を終えると、一息吐きたいタイミングで士郎が彼女にお茶を淹れる。
「ごちそうさま。すごく美味しかったです」
「ありがとう。食べっぷりも良かったし、作った方としてもすごく嬉しかった」
 玄米茶の香ばしい匂いを楽しみながら士郎は笑みを作り、一度啜ってから片付いた食器を台所まで持っていく。カランを捻れば冬の冷たい水が蛇口から流れて手の芯まで凍りつくような冷たさを感じつつ、食器を洗った。
 アルトリアは食事に夢中だった感覚を元の状態にまで引き伸ばし、正座をずっと続けていて僅かに痺れているかなと思う足を伸ばしてから、新しくはないが落ちつくような畳の匂いに気づいた。彼女は和風の建築物や食事にも特に親しくはないし、床に座り込むようなこともあまり経験はないのだが、自分がひどく落ちついていることに気づいた。それは畳の匂いのせいかもしれないし玄米茶にリラックス効果があるのかもしれないが、初めて来た場所なのに妙に馴染んでいる気がした。
  1. 1970/01/06(火) 14:00:00|
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SEEN-2 「Fatal error」

 夜に鳴り響くのは刃金の旋律。一つは五寸釘を特大サイズにしたような短剣、一つは赤くしなやかにして剛健の強さを持った槍だ。合するまでに一秒も要らない俊足の激突は夜の静寂すら殺し、空気を散らし、火花が咲き乱れる。舞台は斜めに砕けた長階段の真ん中、寺と月の見守る内に魔女の手で巡るが如く、己の獲物を寸分違わずぶつけ合う。
 合数は五十を越え、冷たい空気はそれどころか激烈なまでに温まっている。真紅の槍を構えるしなやかな男性は獣のような体勢で、狙う速度はやはり獣よりも早く、大釘を構え体勢を低くする扇情的な女性は毒蛇の如く執拗に、大釘から垂れる鎖は静寂を壊し続ける。
 風が吹いて木が揺れる。葉は揺れて合唱し須臾を置き、再度二人は合する。刃金の旋律はヴィヴァーチッシモで鳴り続く。

 赤い姿が二つ、高層ビルの屋上で佇んでいる。一人は高層ビルから街を見回し、一人は高層ビルの風に震えて腕を体に巻きつける。
「ああもう寒い。早くしてよ、アーチャー」
 凛は乱れる髪を一度抑えつけてから諦め、風のままに遊ばせる。アーチャーは元々良い自身の視力をクラス補正に加え、魔力で強化して街を見下ろす。その場所から数キロと離れた橋のタイルの数すら数えれるほどの視力になったアーチャーは、その眼を皿のようにしてサーヴァントの姿を探した。
 ……聖杯戦争という魔術師の魔術師による魔術師の為のグランド・クエスト・イヴェントがある。七人のマスターと七騎のサーヴァントを用い、ただ一つの聖杯と呼ばれる願望機を奪い合う、マーブル・ファンタズムにおける最大級のクエストの一つだ。世界各地で行われたりするイヴェントなのだが、何故かこの極東の島国が一番の激戦区だったりするのは、マーブル・ファンタズム本社が日本にあるからだろうか。
 アーチャーは大体見終えてから安堵なのか残念なのか、その両方かもしれないため息を吐いて両手で体をコートの上から体を擦っている凛に向き合う。
「こっちの方にサーヴァントの姿は無い。深山町で探すか?」
 凛は寒そうに鼻と頬を赤くした顔のまま一度頷くと、アーチャーの腕を取って重圧軽減と衝撃防御の魔術を使い、アーチャーに着地を任せて高層ビルから飛び降りた。

 士郎は食後、もう一度マーブル・ファンタズムの世界に入りこんだ。マーブル・ファンタズムの世界では体力値と生命力値が分かれていて、生命力はつまり魔力と同等のものである。しばらく体を休ませていればある程度は回復するが、一晩寝るか十二時間以上の時間経過が無ければ基本的に全部回復するわけではない。士郎の生命力値も五分の二ほどしかなく、三、四回も『強化』を使ってしまえばすぐに尽きるだろう。その状態で士郎は他と比べれば多少安全と言える家から出て、遠坂家へと向かった。
 士郎は特に危険もないな、などと思いつつ遠坂家までの道のりを歩いていると、青い、そして鉄色の輝きを眼の端で見たような気がしてそっちに振り向いた。しかし、そんなものどこにも無く、単なる家庭の灯かりと夜の暗さがあるばかりだ。士郎は昨日の恐怖がまだこびり付いているのかと頭を左右に振り、深呼吸をしてから遠坂家までの道のりを再度歩き出した。かなりうろ覚えの、結構間違った道を。
 普通ならば一五分ほどの道を士郎は三十分強かけて辿り着き、冬なのに寒いと感じない体で冷たい空気を体に取りこむ。そしてインターフォンを押す。電気信号に変換された感じがしっかりとあるインターフォンの声は、二時間ぐらい前に聞いた桜の声だった。
 彼女は士郎の声を聞いて慌てたようにテーブルに乗っかったティ・カップから冷めたアールグレイを飲み干し、スリッパが絨毯を打つ音をそこらじゅうにばら撒きつつ玄関の扉を開け、いつものトレーナーとジーンズを身につけた士郎に微笑みをかける。士郎も桜につられて笑いながら、凛が居ないか、と聞いた。
 桜はつい数十分前に出ていった、と答えると、士郎は少し難しい顔で考えながら桜に例を言い、遠坂家を後にした。
 彼女はリヴィングに戻ると、もう一度アールグレイを淹れ、戸棚にあったお茶請けのクッキィを皿にあけた。
「先輩、姉さんに何の用だったんだろう……」
 と呟いた桜の声は、どこに行くわけでもなく、ただ消えていった。

 鎖の毒蛇は宙を引っ掻くように舞い鳴り、撓む間もなくその先の大釘は突き出され、目標には中らず槍の柄や刃で迎い打たれ、外される。槍は大気を貫いて直進するが、やはり目標には中らず、大釘で弾かれ鎖で防がれ外される。しかし全てがそうではなく、ランサーと女の体には幾数の傷が目立つ。
 走り、攻撃し、回避し続けていた二人は一息を吐くために離れ、荒い息を正すと共に傷を修復する。破れていた服も全く新品に直り、見た目にはダメージは無いが、消耗は有る。ただ、万全の動きをする為に傷が無くなっただけだ。
 ランサーは深く息を吐いて体の力を抜くと、女は少し体を前に倒す。ランサーはその状態から一歩も使わずトップ・スピードに達し、槍を最速で突き出した。予見していたように女はそれを後退と体捌きで避け、ランサー数度突き出してから、それまで一度も出していなかった払いを使う。女は数度の突きのほとんどを体に擦らせるが、最後の払いに対して実に素早く対応し、大釘の尾から流れる鎖を掴んで緩ませた状態で槍の柄を捉え、一度伸ばして槍の勢いを殺して鎖を巻きつけた。しっかりと咬みついた毒蛇のような鎖を引っ張りつつ女は口端を引き上げると、ランサーは持っていかれる腕に対応するために自身の象徴とも言える槍を放し、女の腹部に放してしまった槍のような蹴りを打ち込んだ。それが二人の戦闘が始まって以来、初めての直撃だった。
 女は口から濁った声を短く宙に吐き出し、地面に足を着けて更に距離を取る。少し強く咳き込むも、しかし手に持った鎖と巻きついた槍は放していない。

「ちょっと厄介だな、こりゃ」
 随分間違った、とランサーは舌打ちし、女の持った鎖に巻きつけられた愛槍を見る。それを睨んだまま砕けた石階段の欠片を拾い、それに魔力でアンサズのルーンを刻む。
「蹴りは正直重かったですが、その分のアドヴァンテージは作れました」
 女は槍が無い分楽になった、とため息を漏らしたが、しかし気を緩めずに体勢を落とした。そして口から乾いた咳を吐く。
 アンサズのルーンに続いて、ランサーは拾った小石にウルズのルーンを刻む。ウルズを刻んだルーンを早速ランサーは発動させると、肺を搾り出すような深い息を吐き、そして限界まで膨らませるように息を吸い込み、丁度良いぐらいにまでまた息を吐き、今までよりも更に速くランサーは駆け出した。
 女は予想外の速さとランサーが使う体術に、内心、楽になったどころか面倒臭くなった、と毒吐きながら鎖と大釘、そして槍を使って攻撃を捌いていく。しかし使いなれない重量と勝手の槍は実に使い辛く、アドヴァンテージどころか荷物になった、ともう一度毒吐いてそれを柳洞寺の中へ投げ、邪魔の無くなった状態でようやくランサーの攻撃を自身の速度と使いなれた大釘で完全に防ぎ始める。
「粗末に扱うなよ、俺の槍だ」
 けして長くはない大釘に蹴りを防がれながら、舌打ちをしつつランサーは言い、置き土産とばかりにアンサズを使ってから離れる。放られた小石はまるで導火線が切れた爆弾のようにすぐさま炸裂し、半径一メートルほどを瞬間的に火で埋め尽くした。しかし炸裂する僅かに前、女はその場所からバック・ステップで退いていて決定打にはならなかった。
 ランサーはその隙に階段を強く踏みつけて跳ぶ、柳洞寺の門に向かって一直線に行こうとしたのだが、鎖が足首に巻きつき、そうはいかなかった。かなり勢いがあったはずの一足を女はその姿と英霊としての存在でも異常な腕力で抑えつけ、そのままランサーを子供の玩具のように振り回し、門とは真逆の方向へ吹き飛ばす。ランサーは石の階段に何度か体をぶつけながらも完全に落ちきるのを防ぎ、小石の欠片を一つ拾ってベルカナのルーンを刻み、すぐに使った。
「速さは僅かにこっち、力と流れはかなり向こうか、やばいなこりゃ」
 言いつつ砕けた石片を四つ拾い、全てにアンサズを刻むと眼を狩猟犬のように鋭くし、耳のピアスを一つ外す。そして、全速力で駆け上った。
 一足で六つ階段を飛ばし、三段跳びのように徐々に勢いをつけながら女と後一足の距離まで詰めると、突然横に跳んでアンサズを先ほどのように置き土産にする。女は炸裂する火をものともせずにランサーが跳んだ方に跳ぶと、ランサーはすぐにアンサズを放る。女が勢いを止めきれずに急停止すると、ランサーは更にアンサズを二つ投げつける。二つの火の塊は女を下段だけ開いた形で三方向から包み込むように炸裂すると、女は仕方無く一度下り、そして先ほどのランサーと同じように一足で彼の間近まで跳ぼうとして、特大の炎に包まれた。
「そのピアス、結構気に入ってたんだけどよ」
 片耳だけピアスの取れた格好で、ランサーは呟くように言い捨て柳洞寺の中に入り、愛槍を手にした。そして何度か振るって構えると、やっぱりこれが無いと、と云った風で彼は満足そうに口端の片方だけを引き上げる。
「なかなか、門番と言うのも難しいものですね」
 女はそう言いながら肌を焦がしつつ、炎の中から出てくる。炎で焼け、その衝撃で乱れた髪は色気があり、そして迫力がある。女は直火で熱く焦がされた肺の空気を吐き出すと、冷めた冬の空気を存分に吸い込む。そして、美しいのだろう顔には邪魔にも思えそうなその無骨な眼帯に手をかける。
 瞬間、ランサーは跳んだ。背筋に走る寒気が今すぐその場から退け、と頭をガンガンと鳴らし膝を震わせ腰を退かせ足は浮かぶより速く地面を強く蹴り、そしてもう一つの耳のピアスを手は勝手に放り投げていたが、ランサーは気に入っていたピアスの喪失にも構わず、その場からすぐさま消えた。
 炎の塊は女の頭上から降り注ぎ、女は眼帯に手を当てたまま強く足を踏み込んだだけでその炎を躱した。
「流石に、体力が持ちませんか……」
 女は炎を躱しただけでぐらついた体勢を立て直し、柳洞寺の中に入ってすぐに倒れこむ寸前、霊体化した。

 遠坂家から自分の家への帰り道をやっぱり何十分もかけてようやく半分ほどまで来て、士郎はまた青く、そして鈍色の輝きを眼の端で捉える。一度目は偶然か恐怖による映像だとしても、二度目は偶然では片付けられない。士郎は何かがあると警戒し、今までよりもよほど慎重に歩き出す。今、士郎の視界には青と鈍色の輝きは映っていない。しかし、それは今すぐ後ろにもあるに違いない、と士郎は神経を尖らせながら早足気味にアスファルトを蹴る。
 そして道は士郎の良く知る場所になり、あと十分もすれば帰れるだろうというところで、背後から声がかけられた。
「やあ、衛宮。夜の散歩かい?」
 それはいつになく機嫌の良さそうな、慎二の声だった。
 士郎は振り向いて「慎二、なんか良いことでもあったのか?」なんて聞こうとして、言う前に息を詰まらせた。慎二の背後には、派手な着物と異様に長い刀を持ってひどく目立ちそうな格好なのに、まるでそこに本当に居るのかも不確かな存在があったからだ。それは存在感こそ希薄だが、ランサーやアーチャーと同じような存在だと士郎には感じられた。
 喉が収縮して、上手く喋れなくなった士郎相手に慎二は実に嬉しそうに言葉を続ける。まるでマシンガンのように次から次へと言葉を発するが、その内容は全て「僕は今気分がとても良い」と言う一文で纏めきれてしまうものだった。あらゆる表現を引用し、昂ぶる気分を一度吐き出してスッキリとすると、慎二は実に人の良さそうな笑みを浮かべ、自分の後ろに立っている存在を紹介した。
「僕のサーヴァント、アサシンだ。そのその様子だとどういう存在だか知ってるみたいだけど、まあ当然か」
 慎二は自己完結して何度か頷くと、「じゃあ、こいつ殺しちゃって」と、人の良さそうな笑みを浮かべたまま言った。まるで、服に糸くずが付いてましたよ、と指摘でもするように。後ろに居たアサシンは無駄な答えもせずただ慎二の前に出て、その長過ぎる刀をゆっくりと上段に構えた。
「いや、待て。やっぱりちょっと苦しめてよ、その方がいい」
 アサシンはその無駄な遊びに無言で答え、刀を振り下ろす。その行為で士郎の前髪の一本だけが千切れ、暗い地面に落ちてどこにあるか判らなくなる。一度だけ強く跳ねた心臓に息を飲みつつ、士郎は竦んだ足を強く地面に叩きつけて走り出す。縮こまった喉を失敗した口笛のように鳴らしながら、冷たい空気を駆け抜ける。目だけは後ろに向けつつ全速力で走り、走っている状態で無理矢理擬似神経を作ろうとしてそれこそ無理だと知り、士郎は短く叫ぶ。その瞬間、月の光に煌く銀光夜を抉り、士郎の腕を微かに斬り裂く。士郎の腕には痛みよりも熱さと鋭さが先行し、走る速度は落ちないままだが精神はナイフで抉ったように削られた。
 アサシンは士郎の視界から外れたまま刀を構え、皮膚と僅かな肉を斬るためにタイミングを合わせ、走る時に腕が振り上がる瞬間を狙って斬りつけた。見事なほどの精密性と滑らかな剣筋は、士郎の腕とあまり高価なものではないトレーナーを斬り裂く。白い袖のトレーナーは闇の中で濃く濡れて、鼓動する発熱物質が植え付けられる。
 剣先は赤い液体を滴らせながらも夜中で月の光を反射し、鈍色の輝きを携える。そして、横一文字に光が奔る。肩甲骨が浮き出る場所より僅か五センチ上に、赤黒い線が引かれる。今度こそ、熱よりも鋭さよりも痛みが士郎の脳髄を支配した。
「っ、っ――ィ」
 揺らぐ体を必死に立て直して士郎は走り続け、無駄に酸素を消費しようとする叫び声を無理矢理噛み潰す。鼓動する灼熱物質は今も腕と背中を焼き尽くし、潰れかけた呼吸器を無理矢理動かし、飲みこむように空気を肺に入り込む。宙に浮きかける足をしっかり地面に押しつけ、士郎はつま先で最後まで地面を蹴り、体勢を前傾にして更に速く走る。
 アサシンは僅かに片眉を上げ、人間にしては中々速い、と感心してから士郎の正面から太ももを斬りつけた。今度こそ致命的な――少なくとも走る事は出来なくなりそうな――傷だった。
 士郎は不様に顔面から地面に倒れそうになり、なんとか傷ついた方の手を先について鼻を強打した程度で済ませる。無遠慮に垂れ出す鼻血は汚く顔を汚し、顎を伝ってトレーナーを赤黒く染め始める。士郎は激しく空気を求める肺と喉を無理矢理抑えて体中の熱を背骨に集中させる。今しかなかった、今でないと、もう他にチャンスは無かった。体中の熱はすぐに灼熱に焼けた棒を作り上げ、士郎はそれを無理矢理に突き刺して――背骨から外れた。
「が、ァ……!」
 ノイズのかかる視界の中で、闇に融け切らない銀光がゆっくりと上段に構えられる光景を士郎は見る。そして、背骨からずれた鉄の棒を一度抜き、それこそ無茶に真っ直ぐ貫いた。脳髄が発熱して電気が全ての感覚をブチ破るような感覚を噛み千切り、壊れた呼吸器と鼻血を舐め取る舌を使って、自分に暗示をかけた。
同調、開始(トレース  オ ン )
 ブチ壊れた。
 何を強化するか、何を意図して自分に暗示をかけたかも判らない魔術を使って、衛宮士郎のノイズが混じった視界も雑音がほとんど全ての聴覚も冷たいアスファルトのおろし金みたいな痛みも全て、ブチ壊れた。
 だから士郎は知らない。そのブチ壊れた魔術が、どれほどの奇跡を起こしたのか。そして自分が完全に巻き込まれてしまったなんて、その時は知る由も無かった。
 士郎が無感覚に落ちた目の前で、以前彼が体験したようなERRORの文字が集中する。赤いERRORの文字とサイレンが撒き散らされ、アサシンは士郎を殺そうとしてその五月蠅さに気を取られ、耳を封いだ。ERRORの文字は次第に折り重なってヒトガタを作り上げていく。そしてそれは、一つのキャラクターに成った。
 艶やかなナチュラル・ブロンドの髪をアップにし、青と白を主体にした生地に白銀の装甲を身につけ、金の糸で刺繍されたドレス、そしてエメラルドを思わせる翠の双瞳が最後に嵌って出来たそのヒトガタは、今、自分がどんな状況にあるのかを把握できず、狼狽えていた。
 年からすると十代半ばほどのその少女は、アーチャーやランサーに勝るとも劣らない存在感と力をその身に持ちながら、まったく訳が判らないとでも言うように頭を動かして刀を構えているアサシンと無感覚に落ちて地面に砕けている士郎を見比べ、とりあえず傷ついている士郎を抱えてその場を逃げ出した。
 素晴らしく速かった。その一足でギアはトップまで入っただろうし、それと比べたら今まで士郎が走っていたなんてとても言えない速度だった。しかし、少女は二歩目でこけた。
 見事なまでに足を滑らせた彼女はギリギリで足を出して転倒を防ぎ、今度はその速度に乗ったまま走り出す。下手したら士郎が宙に浮きかねないほどの速度にアサシンは着いて行き、その長い刀の切っ先が届く範囲になると、上段から振り下ろした。少女は今度こそ士郎を宙に浮かせて反転すると、士郎を持っていない右手で何かを掴み、アサシンの一撃をその何かで防ぎ、そのまままた反転して走り出した。

「で、どうするつもりだ」
 アーチャーはその様子を屋外の上から見ながら、その隣りで眉間にしわを寄せている凛に聞く。そのしわの理由は色々と複雑で、TV番組のプレゼントに電話で応募するぐらい無茶苦茶に混み合って絡み合ったものである為、容易に説明は出来そうも無かった。ただ、一つだけ明確なのは、衛宮士郎がそのしわを作り出す理由のど真ん中にあるというだけだ。
「まあ、借りを作っておくのも悪くないか」
 アーチャーは口端だけで苦笑すると、どこからとも無く出した弓の弦に矢をつがえ、その名に恥じぬ精密性と速度を持って射出した。少女とアサシンに壁を作るように三本の矢はアスファルトに突き刺さり、少女は後ろで何か音がしたと気づきながらも逃げ去り、アサシンはそれが自らの刀で防ぐに値しないとして、ただ立ち止まり避けた。
 アーチャーはそのまま弓を連射してアサシンを狙うが、致命的に回避が遅れる物以外は避けられ、回避が難しいものは刀で落とされた。それを予測していたようにアーチャーは頷くと、手に持っていた弓を消してその手に黒と白の双剣を持ち、アサシンの前へと降りていく。
「行くぞ、剣士――」
「――受けよう、戦士」
 それだけを言い、二人は剣を振り抜いた。

 少女がデタラメに走り抜けてようやく止まったのは病院の前だった。マーブル・ファンタズム内での病院は一応NPCがやっていて、二四時間開いているからそこらへんは少しリアルとは違うが、便利ではある。少女は病院の自動ドアが開くのも良し悪しだ、などと思ってから受けつけへ行き、士郎が血を流してぐったりしてるのを見せ付ける。
「診察は迅速に、治療をなるべく早く頼みます」
 そう言い終わり、少女は士郎を預けて待合室の椅子に座り込んだ。そして自分が何故どこかも分からない場所に居て妙な格好をしているのだろうと彼女は深く考えこむために、無骨ながら洗練されたと言う矛盾を内包したガントレットで自分の顔を覆い、暗闇に沈んだ。
 時計を見れば役五分程度だと気づいただろうが、少女にとってはそれよりも数分ほど遅く感じられた時間を過ごしていると、静寂に響いたドアの開く音で彼女は暗闇から浮上した。
「破れた服を見ると相当深く見えましたが、結構浅かったようです。これならすぐに回復するでしょう」
 背が小さく、白髪の割合が覆い髪を撫でつけながら言う医者の言葉に少女は訳もなく安堵してから、ログ・アウトしようとして、ステータスを見れば自分がどうしてこんな格好をしてるのかも判るじゃないかと閃いたもう一方で、彼女は自らがガントレットで塞がれて呼吸が苦しかったことを嘆いた。
 手馴れた様子で少女は左腕の二の腕を素早く二度叩くと、空中に半透明のウィンドウが浮かび上がる。その画面には彼女の名前や力や魔力などの数値化されたデータが有ったはずだったのだが、そこにあるのは実に簡潔に作られたステータス画面だけ。
 Sarvant 〝saber〟と書かれたデータを始め、数値化されていたはずのステータスはアルファベット、少女が持っていなかったスキルの保有、そして持っていたスキルの消失、さらにNoble fantasmと書かれた項目には、Invisible airと名前のつけられた透明な武器が一つだけ。そして一番重要なログ・アウトの項目には、ただ無地が広がっていた。押せば幻想世界から出られるはずのExitと書かれた長方形は見当たらない。つまりそれは、いままでマーブル・ファンタズムには無かったはずのバグが出ている、ということに他ならなかった。
 少女は頭を抱えて、とりあえず寝たらどうにかなるか、などと安易な希望を持って就寝した。病院の待合室で。
  1. 1970/01/05(月) 14:00:00|
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SEEN-1.5 「属性、ケントウ」

 昨日の夜のことなんて何でもなかったかのように、凛は学校にていつものように優等生然としていて、昨日の夜のことなんて何も考えてないかのように、士郎は一成に頼まれてストーブを直していた。早朝からのストーブ修理も終わり、そろそろ士郎が教室に帰ろうとした際、たまたま凛と顔を合わせ昨日の事に礼を言い、凛は昨日も言ったように借りを返しただけだから、と猫を何匹か被ったまま返し、その場を去っていった。
 凛は内心、歯痒かった。朝に牛乳を飲んでやっと目を覚ました際に、白い少女が言った言葉を思い出したのだ。会話のログを残しておくチャット・ウィンドウを出して内容を見ると、少女の言葉は聞こえなかったが、ログ収集のギリギリに引っかかっていた為、少女の声はチャットのログに刻み込まれた。「早く召喚しないと本当に死んじゃうよ?」というその言葉が。
 つまりは、衛宮士郎も参加者の一人なのか? と聞くタイミングを逃したせいで、気分が悪かったのだ。まるで目を完全に覚ますのに数ミリリットルほど牛乳が足りなかった時のような感覚に苛立ちを覚えつつ、剥がれて行きそうになる猫をしっかりと捕まえたまま午前の授業を終えた彼女は、どこか近寄りがたい雰囲気を滲ませていた。

 士郎は放課後の一時間ほど重症のストーブを直してから帰宅し、しっかりと手を洗ってから料理を作り始める。大き目に切った野菜と鶏肉を大鍋で炒めてから出汁を良く染み込ませてしょうゆを少なめにした煮物にし、煮物であまった鶏肉と野菜を一緒に蒸したもので温野菜のサラダを作った。後は程よく漬かったぬか漬けと味噌汁でも作れば良いと士郎は一つ息を吐き、無作法ながらテーブルに肘をついて手のひらで頬を押す。
 そして士郎は一度だけ息を吐くと、ヴャーチャル・ギアを取り出して世界を越えた。
 夕日が向こうでわずかに燃えているのが判るぐらいの時間、士郎は精巧に創られた世界へ入りこみ、いつもは夜にしかやらない魔術の鍛錬をするために土蔵に入った。暗く閉じた土蔵の空気は扉を空けると冷たく流れ出て士郎の体を撫で、かすかに背筋を震わせる。士郎は冷たく濁った空気の充満する土蔵に入り、いつもよりも明るいのに同じ感覚に奇妙な思いをしながら鉄パイプを一つ手に取った。
 士郎は背骨に灼けた鉄の棒を突き刺し、擬似神経を作って魔力を作り、鉄パイプに浸透させていく。流れ出した魔力は鉄パイプの弱い部分を満たし、しっかりと強化が成功した。
 士郎は初回に成功した強化の魔術に達成感と興奮を覚えつつ木材を手に取り、同じように魔力を浸透させていく。今度は呆気ないほど簡単にひびが入り、木材は使い物にならなくなった。士郎はそう簡単にいくわけが無いか、と苦笑しつつ今度は木刀を手にとって魔力を流し込んだ。それは成功し、士郎は確実に上がっている強化の成功率に先ほどよりも強い興奮を覚え、土蔵にある様々なもので強化を試した。
 頭部が破損したカーネル・サンダース人形は失敗し、ソフト・ビニールで出来た刀のおもちゃは成功した。鉄パイプはその後二本が失敗して一本が成功、木材は二本が失敗で二本成功、木刀は一本が失敗して二本が成功し、竹光の刀が三本全て成功した。この実験で大河が持ってきたガラクタの六分の一ほどを消費したが、士郎なりに出た結論は、剣の形をした物の方が成功しやすいということだった。
 士郎は魔力を枯渇寸前まで使って体中を汗まみれにし、白い息を量産しつつ大の字で寝転がった。そのまま呼吸が通常運営になるまで待つと、士郎は自分の部屋に入ってログ・アウトした。

 間桐桜は衛宮家で士郎たちと一緒に食事をして帰ると、自分の部屋に閉じ篭ってヴァーチャル・ギアを被った。暗い陰気な間桐家の中で安息を得るために、桜はマーブル・ファンタズムを使う。マーブル・ファンタズム内での彼女の名前は、遠坂桜と言った。
 まるでモデル・ハウスのように生活感の薄い、寝る事と着替える為だけにある間桐家の一室から彼女は、同じように広い洋室だがぬいぐるみや小物などの置いてある生活感のある一室に跳躍した。そこは、もしそのまま桜が養子に出されず育っていたならば与えられていただろう部屋である。クローゼットやタンス、ベッドの類いは無駄な装飾が一切無く、質素とも機能的とも言えるが、小物類を置いてあることからみると、彼女の趣味と言うよりも家族の趣味なのかもしれない。
 桜は自分の部屋で安堵したように深く呼吸すると、部屋を出てキッチンで紅茶を淹れる。ティ・カップを食器棚から出して沸いたお湯を勢い注ぎ、まだたっぷりとあるお湯を抽出用ポットに注いでから温まるまで待ち、一度お湯を捨てて茶葉を入れてまだ沸騰していそうな熱さのお湯を注ぎ、十分に蒸らしてから茶漉しを使ってサーブ用のポットに移し、ティ・カップに湯気を立てる紅茶を注ぐ。十分立った香りを桜は楽しんでから、音を立てずにティ・カップを傾ける。
 そこに今しがた「跳んできた」凛が現われ、「わたしにもちょうだい」とサーブ用ポットからティ・カップに紅茶を乱暴なほど勢い良く注ぎ、口を付けた。そして、実に渋い顔をしたのは、紅茶が彼女があまり好きではないアールグレイだったからだろう。桜は好きなのだが、彼女はアールグレイよりもアッサムやダージリンを好んでいる。
 凛は暖めた牛乳をたっぷりと注いでからスプーンで掻き回し、眉間にしわを寄せつつミルク・ティを飲む。
「なんか、今日は苛立ってるんですね、姉さん」
「まあね。普段の演技がこれほど邪魔になるなんて思わなかった、ってだけよ」
 濃く淹れ過ぎたコーヒーを飲むみたいに凛は紅茶を飲み干してから、「ごちそうさま」とティ・カップを水で濯いで出かける準備をする。ポケットに宝石を突っ込んだ赤いハーフ・コートを身に纏い、防寒と防戦対策は万全にしてある。
「帰ってきたら洗うから。じゃ、行って来るわ」
「いってらっしゃい、姉さん」
 桜は温くなったアールグレイ・ティを飲み干し、姉の分もティ・カップを洗った。
 これからマーブル・ファンタズムの夜が始まる。
  1. 1970/01/04(日) 14:00:00|
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SEEN-1 「長い夜Ⅰ」

「くそ、なん、で……」
 荒い息で言うのも苦しいのに、それでも士郎は悪態を吐きながら校庭から校舎内まで走り続ける。彼が見たのはこの辺に――マーブル・ファンタズムの冬木市で在り得るはずのない、上位に位置する「英霊」というノン・プレイヤー・キャラクター同士の戦いだった。そして彼が体験しているのは通常の魔術師なんかでは、まして士郎のような実戦経験などまるでなく、実力も最下位に位置するようなプレイヤーでは、一瞬で殺されてしまう存在に命を狙われているという絶望的な状況だ。
 士郎は上靴に履きかえるなんて余裕はないと廊下に乾いた土の跡をつけながら走り、校舎のちょうど真ん中に来たぐらいで走る速度を緩やかに落として止まった。体中の熱さと恐怖から逃れられたという感覚に開放感を感じつつ、士郎は荒い呼吸を整えようと深く息を吸いこむと、それを吐くのも忘れるぐらいに口を開き切ったまま停止した。
「よぉ、わりと遠くまで走ったじゃねぇか」
 錆び付いた金属製の玩具でも、壊れたブリキの玩具でも、不恰好に並んだ剣の群れでも音を立てるというのに、士郎は体中の熱さを冷え切らせる恐怖が芯に通されて氷の彫刻みたいな堅さと脆さで、阿呆のように蒼くぴったりとしたスーツのような鎧を着込み、赤い槍を持つ男を見上げた。士郎よりも二十センチほど高い背と、鍛え上げられた筋肉が盛り上がったスーツから判る。だがしかし、そんなもの問題ではない。それでさえとっくに致命的だが、それでさえ些細なことだ。その手に持たれた槍こそが本当に問題なのだ。馬鹿でも阿呆でも、アメーバのような単細胞生物でさえ判る程の力を秘めたその槍は、どんな下手が持ってもその力を以って敵を貫く。
 士郎は恐怖した。マーブル・ファンタズムで死ぬことによるデス・ペナルティが嫌なのではなく、マーブル・ファンタズムで再現される死の痛みと苦しみが恐いのではなく、原始的な、心の奥から染み出てくる力に対しての恐怖だった。だから士郎は、その恐怖に抗った。怯えて逃げることは恰好悪い、でも間違いじゃない。だけど怯えて恐怖して一歩も動けずに殺されるなんてことは、間違い以外に他ならず、あまりにも恰好が悪いから――士郎は抗った。現実にはなれないけども、この世界でなら目指せると思った自分の夢に、正義の味方になる為に。正義の味方は恰好良いものだから。 焼けた鉄の棒を一気に尾骨まで突き刺し、体中の毛細血管が破裂するような痛みに出そうになった声を噛み殺し、毛細血管が本当に破裂したからか赤くなる視界に歯軋りをして耐え、無理矢理作り上げた魔術回路に魔力を通す。
「――同調、開始(トレース  オ ン )
 士郎は体を強化する。少しずつ魔力を注いでいくなんて時間も技術もないから目分量で体に魔力を流し込み、更に学生服にも魔力を浸透させていく。成功率一パーセントを切る強化の魔術は何百回ぶりに成功した。それもニ連続で。
 青い槍兵は目の前に魔力を感知すると面白そうに、そして面白くなさそうに口端を釣り上げて笑った。
「なかなか面白い真似するじゃないか、え?」
 そう言ってから手の中にある槍を返し、彼にしてはごくゆっくりと、しかし現実的には子供が全力で投げる石ほどの速度で士郎の腕を殴りつける。攻撃自体は鉄ほどの硬度を保った服でカヴァーされたが、流石に衝撃は殺し切れず士郎は出来の悪い人形みたいに二メートルほど転がった。士郎は合計三度転がってから、転がった距離と勢いを利用し、クラウチング・スタートのように前屈みで走り出す。方向は来た方と同じ、そして速度はそれこそ、NFL最高の足をもったプレイヤーよりも速い。
 その速度を維持しつつ、士郎は普段ならば数十分と歩かなければいけない距離を、わずか五分弱という驚異的な速度で走り抜けると、――今度こそ体が凍りついた。士郎の父が張ったと言う設定で衛宮家に構成されている結界は、士郎やその友達、仲間等に敵意を持った者が入ると、居間の天井に取り付けられた大き目の鈴が鳴るという仕組みになっている。それが、士郎が結界の範囲に入った次の瞬間、耳朶を劈くように鳴ったのだ。
 士郎は荒い呼吸には致命的な喉が縮まる感覚を体験する前にその場から体が弾けた。例の青い男が前蹴り気味のミドル・キックをかまし、士郎をまたもおもちゃのようにふっ飛ばした。今度は五メートルほど地面から浮き上がってから二十メートルほど離れた地点で体を跳ねさせ、そのまま土蔵の近くまで跳ね、転がった。体と服を強化していたおかげでダメージこそ少ないものの、衝撃が突き抜けて行動速度は大幅に減速してしまった。
 士郎は狭まった喉から残り少ない空気を送り出す肺にかけて痛みを感じつつ土蔵の中に地面を這いながら入ると、近くにあった木材を手にとって強化する。いとも簡単に崩れた呼吸と調子と気持ちでは成功するはずもなく、簡単に木材は砕け散った。
 士郎は狭まったまま固まった喉に手をやり力を込めて握ると、簡単に喉は軋みを上げて世界が遠くなるように士郎の視界と呼吸が狭まる。するとすぐに手を離し、一度激しく咳をしてから埃塗れの空気を肺いっぱいまで吸い込んだ。そこで、青い槍兵が土蔵の扉を開いた。
「なかなか面白い坊主だが、逃げるしか出来ねぇなら興醒めだ」
 ――落ち着け、落ち着け。今一番しなきゃいけない事は落ち着くことだ、落ち着け。
 耳の奥で鳴り響く警告音の激しさに目をつむりながら士郎は肺に充満した空気を吐き出しながら言う。
「――同調、開始(トレース  オ ン )
 手に持った鉄パイプに魔力が浸透し、今や鋼鉄にも負けない硬度を持った鉄パイプを士郎は座った体勢から斜めに振るい上げ、槍を弾こうとする。槍は見事に青い槍兵の意図しない動きを見せつつ狭い土蔵の天井を引っ掻き、鉄パイプは士郎の汗で塗れた手から放られて天井を打った。
 士郎が木材を一つ手にとって外に出ようとすると、槍の柄がその胸を強く打ち、先ほどまで座っていた位置に殴り戻される。
「腕を狙わなかったのは良い判断だったけど、甘ぇよ坊主」
 士郎はもうほとんど空っぽになった魔力を集中させると、手に持った角材に染み込ませていく。指先に触れる冷たい地面に感覚は僅かに残った理性と冷静な心に過ぎない。それを木材に注ぎ込むと――いとも簡単に木材は砕け散った。
「残念だったな、頼りないその命綱もブッ千切れちまった」
 士郎は見えない空を仰いで神様に祈る前に、土蔵を一度見回して覚悟を決めた。
 青い槍兵が器用に槍を回転させて穂先を士郎に向けると、士郎は左腕を胸の前に構えて青い槍兵の膝にタックルし、微細に崩れた体勢の隙で逃げ出そうとする。青い槍兵はつまらなそうに槍を振るうと、士郎は左腕を体と槍の間に差し込む。幸いにも体勢が崩れていたおかげか、骨や神経までは切断に至らず、筋肉の大体が切断されただけですんだ。
 青い槍兵が舌打ちし、士郎に止めを刺そうと槍を構えると、その間に弓の連射が差しこまれた。
 士郎が背後を振り向くと同時に青い槍兵が見上げると、そこには黒く艶の無い弓を構え、赤い外套を着込んだ弓兵の姿があった。
「手前ェ、いったいどういうつもりだ?」
 青い槍兵が眉を吊り上げて眼を鋭く研ぐと、赤い弓兵は口端だけを釣り上げる嘲笑でもってそれを返した。
「別に、どういうつもりでもない。マスターの命令だ」
 明らかに言葉とは違う意味のありそうな嘲笑に槍兵は苛立ちを覚えると、それを抑えるよりも士郎を殺すよりも優先して弓兵に飛び掛った。弓兵も手に持った弓をどこかに消すと今度は変わりに黒白の双剣をどこからともなく取り出して構え、槍兵の一撃を受け流した。
 衛宮家の塀の上で行われているという真剣で迫力がありながらもどこかおかしい雰囲気を醸し出す光景に、士郎は緊張を解されて地面に座り込み、大きく深呼吸をした。すると左腕に走る痛みに今気づいたように顔を顰め、応急処置として破ったカッターシャツの袖を使って腕を縛った。
 しばらくの間――と言っても実時間では一分ほど――士郎が面白怖い戦いを眺めていると、背後から忍び寄るように迫る何かに気づいて振り向けばそこには穂群原学園の優等生、遠坂凛の姿があった。
「な、え?」
 士郎の呆けた声に構わず凛は「治療系は面倒なのに」なんて愚痴りつつ、士郎の傷ついた腕に手を当てて士郎の理解出来ない言葉を高速でつぶやくと、士郎の傷の痛みは瞬く間に和らぎ、数秒ほどしてから腕を覆ったカッターシャツの袖を解くと、そこには少しだけ乾いた血で塗れているが、しかし傷のない腕があった。
「うわ、すごいな遠坂。ありがとう、助かった」
 血塗れたカッターシャツの袖で腕にこびり付いた血も拭いつつ、士郎は凛に礼を言うと、凛は少し照れくさそうに顔を背けながら「借りを返しただけよ」と言い、それから少しだけ間を取って気を引き締め直し、極めて真剣な顔で、まるで睨むかのように士郎と顔を合わせながら言う。
「いい、衛宮くん。時間も余裕も――ついでにお金も――無いから簡潔に言うわよ、死にたくないならすぐに冬木市から逃げなさい」
 凛はそれだけを言うとすっかり向きを変えて、赤い弓兵と青い槍兵の戦いを渋い顔をしながら睨み、近くへ駆け出すと突き出した人差し指をランサーに向ける。すると、服の袖かに彼女に受け継がれた魔術刻印の模様が浮かび上がって光り、その指先から黒い弾丸を吐き出す。弾丸はまるで底無しのフル・オートみたいに高速で吐き出され続け、青い槍兵の体勢を僅かに崩す。それを使い赤い弓兵は押されていた状態から間を取り、一度深く息を吐いた。
「いい加減、この不安定な場所では戦い辛いな」
 赤い弓兵はそう言うと、塀から衛宮家の向こうの道路まで降りた。青い槍兵も舌打ちをしつつ道路へ降りると、槍を構えて体勢を低く構え、再度突撃し、赤い弓兵と激突する。
 衛宮士郎はただ無力で、魔術師でありながら――そして魔術師が参加したいと言うイヴェントに巻き込まれていながら、ただそこから逃げ出さなければ殺されるしかないという存在でしかなかった。状況は不透明ながら、士郎にも判っていた。赤い弓兵は凛の味方で、青い槍兵はどちらにとっても敵。そして青い槍兵の力は赤い弓兵よりも勝っている。それだけの事実は士郎にも判っていた。
 塀の外では刃金のぶつかる音と、凛がガンドを発射する弾丸を発射した時のような破裂音に、激しいかけ声等が高速で溢れかえっている。逃げるとしたら、今、これ以上のチャンスもタイミングもありはしないだろう。青い槍兵は赤い弓兵と遠坂凛を相手にしていて、もはや士郎のことなど頭から消え去っているに違いない。だが、それで良いのかと衛宮士郎が衛宮士郎たるものが訴えかける。今ここで逃げてしまえば衛宮士郎は一生衛宮士郎たりえることは無いだろうと自覚しているし、それが致命的な間違いであると言うことも理解している。ただ、衛宮士郎が遠坂凛を、赤い弓兵を助けるためには、あまりにも弱過ぎた。
 士郎がプール上がりのように震える歯を力いっぱい噛み締めるのと同時に、この辺一帯が凍りついた。暴食される魔力は士郎が小枝を折った時の、吐き気がしそうな感覚とそっくりである――否、何一つ違いなど無かった。そして士郎にも迷いは無く、ただ走った。実に自然なことで、その時士郎にはなんの恐怖もなかった。空気を吸うように、水を飲むように、困っている人を見かけたら助けるように、士郎にとってなんの事でもなかった。単に、良いことをされたらお返しをしようと言う、それだけのことに過ぎなかった。そして、それで十分だった。
 ――無力なんて判りきっていた、弱いなんて頭痛がするほど知っていた、そして衛宮士郎が大莫迦野郎なんてこと、ずっと前から指摘されていた。だから、衛宮士郎がどこまでも突き抜けて莫迦であれば良い。することと言ったら、それだけじゃないか!
 士郎は今までの悩みなどどこかへ放りだし、玄関前の門を抜けた。そこは堀を越えて戦っていた場所から移動し、青い槍兵と赤い弓兵が対峙する場所だった。そして、青い槍兵は暴食した魔力を開放する。
「刺し穿つ死棘の槍――!」
 槍は必ず心臓を貫くという呪いをかけられた槍であり、そしてその呪いは強い力を持っていた。だがしかし、強い力はより強い力によって防がれた。瞬間に過ぎない。だが、まるで隕石かと思い違うほどの質量と存在感と重量を持って空から降ってきたのは、鉄色の筋骨隆々とした身体を持つ背の高い男――まるで、鬼神とでも言うべき雰囲気を纏った荒々しい男であり、そしてその肩に対症的な白い肌と白い髪を持ち、温かそうなコートに身を包んだ少女だ。
 鈍色の巨人はその手に持った黒曜石のような岩塊で持って青い槍兵の槍を叩き落し、無理矢理に宣告された死を駆逐した。
「ごめんなさい、ランサー。殺されると困るのよ。サーヴァントの数が足りなくなるし、なにより――私がシロウを殺したいんだもの」
 左右色の違う瞳を持った鈍色の巨人は岩塊をまるで何でも無いように持ち上げると、ランサーと呼ばれた男の方を向く。
 士郎はただ次から次へと起こる事に頭を混乱させながら、白い少女にとりあえず感謝をしなければという答えに至った。自らが士郎を殺したいと言ったこともあるが、命を救ってくれたことは事実なのだから。
 凛は目の前の莫迦と鈍色の巨人と白い少女に頭を悩ませていた。せっかく救ってやった命を粗末にする理由が判らないし、そしてあの鈍色の巨人の圧倒的な強さが見ているだけで判ってしまうから。
 赤い弓兵はポーカー・フェイスを崩すことなく、ただ現場の状況を見て凛の腕を掴み気を引くと、耳元で「逃げるなら今しかない」と言い、凛はそれに頷いて二人は姿を消した。
 青い槍兵――ランサーは舌打ちをした。つまらない失敗と気に入らない相手とあまり歓迎できない状況に。そしてどう見ても面白くなりそうにない事とマスターに帰って来いといわれたことに同意して、獣のような速度でその場を去った。
 白い少女は鈍色の巨人の肩の上で反転し、士郎の方を向くと、
「ばいばい、お兄ちゃん。早く召喚してくれないと本当に死んじゃうよ?」
 その言葉を残して巨人と同じ闇色に消えた。
 残された士郎は、意味不明の出来事と感謝し忘れたことを心の中で空回りさせながらログ・アウトし、長過ぎた夜を終えた。
  1. 1970/01/03(土) 14:00:00|
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SEEN-0.75 「Set out,inner2」

 士郎は冬だと空の薄暗い時間に起き、少し頭が重いような感覚を振り切って冷たい空気を深く吸い込んで眠気を覚ます。元々目覚めは良い方だから、それで十分であるらしく、キレの良い掛け声と共に布団から跳ねるような勢いで起き、布団を畳んで冬場の……しかも朝には非常に寒そうな恰好に着替え、竹刀の音は久しくしていない剣道場に入ってからゆっくりと体を解し、筋肉トレーニングのメニューをこなしていく。今日は士郎が朝飯の当番ではないから、比較的じっくりと柔軟運動をしてからメニューをこなせたらしく、士郎は気持ちの良い汗を掻いた。
 体の汗を流す程度に士郎はシャワーを浴びると、学校へ行く為に制服を着てデニム地のシンプルなエプロンを身に付け、下拵えをしている桜に朝の挨拶をした。

 士郎と桜が朝食を作り終える頃、切嗣は目を覚ます。元々余り早起きをする性質ではないが、ここ数年間ほぼ同じ時間に目を冷まさないと冷えた朝食を食べる羽目になるだけあり、早起きだけは出来るようになったようだ。

 それよりも僅かに早く大河は目を覚まし、黄色と黒いボーダー柄のゆったりとしたパジャマから着替え、少し使いこんだ感のあるスニーカーの紐をしっかりと締め、坂の下にある衛宮邸へと駆け出す。坂の勢いも手伝って百メートル十秒フラットという記録を出しつつ衛宮邸玄関扉を開け、いつものように元気良く、大声で挨拶をした。

 蛍光灯もつけていない夜にも負けないほど雰囲気の暗い間桐家で一番に目を覚ますのは、怪しくて不気味な祖父の臓硯でも少々性格が歪んでしまった義理の兄である慎二でもなく、養女の桜だ。彼女は制服を着て、唯一付けるアクセサリィと言っても良いリボンで髪を結ぶと、納豆やチーズ等の醗酵食品が好きな養父の為に朝からブルー・チーズを使ったサラダや納豆とキムチの混ぜものなどを作り、その側ら性格の悪い兄の為に冷めても美味しい、というよりも冷たい方が美味しくなるものを作って冷蔵庫に入れ、鬱屈とした間桐家を後にした。

 朝食を食べ終えて少し汚れた食器を水に漬すと、切嗣に挨拶をして士郎たちは学校へと歩き出した。
 学校まで数十分かかるとは云え、まだ余裕で間に合う時間に学校へと行くのを大河はあまり良いと思っていなかったが、流石に教師が遅れるのもあまり恰好良いものではないだろうと言うのが建前で、本音は切嗣にだらしないところを見られたくないという、本性らしくない乙女的な思考だったりする。実のところ隠しきれてないのだが。
 チャイムが鳴る数十分前に士郎たちは学校に到着し、士郎はホーム・ルームが始まるまで簡単に直せそうなストーブを直しに、大河はもちろん教員室へ行き、桜は一年の教室へと行った。

 冬の寒い夜空が蒼いわけもなく、ビルの照明や街灯が無ければまったくの闇になってしまう新都のどこか冷たい雰囲気を漂わせる道を、士郎はアルバイトから帰るために歩いていた。冬用の制服とはいえ夜の外気ではさすがに寒いのだろう、士郎は時折身を震わせながらあまりらしくない風に考えごとをしつつ、ゆっくりとローファーの底を削りながら足を進めている。
 士郎がいま考えているのは、昨夜のマーブル・ファンタズム内でのことだ。マーブル・ファンタズムというゲームは、非常に安定性の高いことに誇りと実績、そして評判があり、今までそのような事件はまるで報告がなかった。と言っても士郎はまだ一ヶ月程前にマーブル・ファンタズムを始めたばかりの素人なのだが、過去のニュースでもそんな報告がなかったので、今までは無かったのだろう。或いは、プレイヤーには当たり前過ぎることなのか。説明書に書かれていた設定によると、魔術師というのは魔術を刻みつけて取得すると言う方法があるらしいから、昨日の一件もそれなのだろうか等と、士郎は思考を長い間煮込んだカレーのように材料がほとんど溶けてしまって収集がつかなくなった事に気付いて、頭の中から追い出し、さっさと家へ帰ることにした。

 少しだけ力を込めて右こめかみ近くにあるヴァーチャル・ギアの出っ張りを押す、たったそれだけの行為に士郎はするかしまいかを迷っていた。はっきりと言えば、士郎はまたあんな事があるんじゃないかと恐怖していた。
 擬似的に再現された痛みなんて大した事が無いだろうと思われるだろうが、マーブル・ファンタズムで再現されるそれは本物と同位であり、同意である。刃で肌を斬ればその部分は灼熱し、鋭く斬られたと言う感覚がその部位に走る。現実との違いと云えば、ヴァーチャル・ギアを外せば痛みが残らない事と実際に傷が出来ない事でぐらいである。あまりにも敏感に痛みを感じ過ぎてプラシーボ効果が出ないかという疑問点もあったのだが、千人のβテスターとマーブル・ファンタズム社でのテストで確認されず、発売されて九年が経ってもそんな報告がない事から、その問題点もクリアされているようである。
 つまり、痛みは消えても一度恐いと思った事は頭に染みついていて、次に同じ事を行なおうとすると戸惑ってしまうのだ、どうしても。
 士郎は凍った指先で出っ張りを撫で、スウィッチが入らないぐらいに押し込み、まるで傘が倒れるか倒れないかのスリルを満喫するように、自由になる部分を何度も押しこむ。そして、つまらない恐怖を振り払うように今までに無いほどの力で乱暴に押し込み、勢いを張り倒すようにマーブル・ファンタズムの世界へと『跳躍』する。その一瞬後には、少しだけ違和感のある温かい雰囲気の無い部屋に士郎は居た。ERRORの文字は浮かばず、騒がしいサイレンも痛みもない。士郎はようやく落ちついたように溜め息を零し、固まっていた体を解した。

 結局、その後一時間ばかり魔術の訓練をして終わったが、例の痛みも熱も襲ってくる事はなかった。

テーマ:二次創作 - ジャンル:小説・文学

  1. 1970/01/02(金) 14:00:00|
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SEEN-0.5 「Set out,inner1」

 士郎はいつものように養父である衛宮切嗣、姉的存在である藤村大河、友達の妹である――と言っても士郎自身も友達というか、家族のような付き合いだと思っている――間桐桜と夕食を食べ終えた後、あまり面白いとは言えない食器洗いを済ませた。そして切嗣たちに緑茶を一杯ずつ入れてから、近未来的にデザインし直されたような拘束具じみている目すら覆うそれを被り、右側の丁度こめかみあたりにある出っ張りを押し込む。そしてきっかり一秒後に「アクセス、マーブル・ファンタズム」と一人呟くように言い、彼は世界から世界へ跳躍をした。
 士郎の体があるのは、先ほどまでの大河や切嗣がだらけているのんびりとした雰囲気の居間ではなく、本物と比べてしまうと流石に違和感のある居間と同じデザインの部屋だった。しかしそこには切嗣も桜も大河も居ず、あるのは点きっぱなしの少し電力の弱い蛍光灯と、肌から透ける血管や肌の僅かなくすみなどを一切排除された、マネキンのような士郎だけだ。彼は『飛ぶ』瞬間の違和感になれずに肩を鳴らしながら、溜め息を一つ零して居間から出て行く。
 そこはマーブル・ファンタズムと呼ばれるゲームの世界で、限りなく繊細、美麗、滑らか、質感、ある言葉を何度、幾つ並べても表現できないほど少し作り物めいた現実世界とうり二つの世界であり、平行世界のような僅かに違う場所である。エッセンスのように加えられたのは魔術や吸血鬼、精霊などファンタジィではおなじみのそれであり、そして少し解釈の違うファンタジィだ。現実にぶち込まれたそれは、潜むと言う行為それだけで現実にそぐわない様に溶けこんでいる。
 士郎も、その非日常のエッセンスを僅かに加えられた存在に変質しているのだ。この世界で彼は――魔術師である。
 土蔵の前まで歩いて来た彼は手馴れた様子でその重い扉を開け、月明かりだけが差し込むその中に入り、小さめの電球で中を照らす。鉄パイプや木材、自転車のフレームに作りかけだか分解中なのかも判らないストーブ、それに幾つも積まれた木刀がその土蔵の特殊性――と言うよりも不気味さ加減に拍車をかけている。彼はどうぞお座りなさいとばかりに空けられたスペースに座り込むと、瞼を閉じて小さく、しかし鋭く息を吐く。
 彼はひどく集中し、瞼を強く締めて背中の神経を張り詰めさせる。そして焼けた鉄の棒をイメージし、それを背骨に沿って自らの体に通していく。少しずつ、まるでミミズがのたくるぐらいにゆっくりと焼けた鉄が体を焼いていく感覚を否応なく味わいながら、体に焼けた鉄の棒を押し込む。額には玉のような汗が浮かび、顎から垂れた汗が土蔵の地面をなお濃く濡らす。士郎が一言だけ思わず言っていたと言う風に声を漏らすと、闇が揺らいだ。そして士郎の表情が苦痛に歪み、汗が背中から額にかけて異常なほど浮かぶ。焼けた鉄の棒が背骨から反れ、体の中に刺さったのだ。
「ぅ……く――」
 目の奥が点滅しそうなほど士郎は奥歯を噛み締め、焼けた鉄の棒を少しだけ引き抜いてその軌道を背中に沿わせていく。そして鉄の棒の先端が背骨の一番下まで届くと、士郎は塊のような息を吐き出した。
「死ぬかと思った……」
 このマーブル・ファンタズムでは、五感の全て、捏造された第六感、そして痛みなどが全て再現され、忠実に同じ痛みの信号を脳に叩きこみ、あたかもそれが本当にあったようにし、プレイヤーが感じた事はそのまま真実のようになる。つまり刺し殺されれば刺し殺されるほどの痛みがあるし、焼死すれば息も吸えないほどの苦しみと熱さを体験する特になる。しかしプラシーボ効果が出ることはないし、なったと言う報告もない。ただ単純に、感覚だけがあるのだ。つまり、今の士郎も間違えれば死ぬほどの痛みを体験することになっていたのだ。
 士郎は汗だらけの額をトレーナーの袖で拭い、しっかりと背中に通った一本だけの魔術回路の存在をしっかりと確かめてから、近くにあった木材を手に取り小さく呟いた。
同調、開始(トレース  オ ン )
 その言葉は衛宮士郎が魔術師へと変質する合言葉である。通った魔術回路に魔力を流し込み、そこから手を伝わせて木材の弱い部分に魔力を通していく。士郎の肩は初めて怒られた小学生のように緊張して力が篭もっていて、案の定と言うべきか、魔力は木材の許容量以上に注がれてヒビが入る。乾いた音が静みきった夜に響いて虚しく残骸と化し、アイテム名が木材から壊れた木材に変化する。
 士郎は慌てることもなく次の木材を手に取り、既に魔術師へと化した自分から木材へ魔力を注ぎ込んでいく――割れる。次、次、次……。木材を手に取りかけて止め、その数十センチほど離れた場所にあった鉄パイプを手に取り、士郎は思いのほか熱くなっていた自分の体を鉄パイプの冷たさで確認してからしっかりと握り、魔力を流し込む――ヒビが駆け抜けた。
「……ッハ、やっぱそう簡単にはいかないか」
 彼はヒビが入り一部が尖った鉄パイプを放り出し、汗の浮かんだ額をトレーナーの袖で拭うと、体から骨が抜けたような力の無さで地面に倒れこむ。或いは、突然に筋力が今の百分の一にでもなったかのような頼りなさで。魔力と言うのはけしてタダではない。いや、金額に換算すれば無料なのだが、体中の魔力がほとんど無くなってしまえば、土木工事で数時間働いたぐらいの体力が体から失われる。もちろん、普通の――単なる平々凡々と暮らす運動部にも所属していない学生がした、と言う比較の話ではあるが。
 全力疾走した後のような体にもう一踏ん張りさせて背中から焼けた鉄の棒を抜き去ると、士郎はそのまま広くはない土蔵の冷たい地面に寝転んだ。ひんやりと、そしてざらついた石の感触は火照った体に気持ち良く、暗い闇の中で士郎は寝返りをうち頬を地面に擦り付ける。
 数分程して体の熱と疲れもそこそこ無くなると、士郎は体を動かすために土蔵を出た。その数秒後ぐらいに壊れた鉄パイプと壊れた木材は透明になり姿を消し、処理を少しでも軽くする為に世界はその存在を抹消していく。
 少し冷たい風は士郎の体と髪を撫でながら去って行き、土蔵からそう離れていない庭の草を鳴らす。士郎はその音に耳を澄ましてから地面に座り込み、柔軟運動をしようとしたその時だった。まるで静電気がセーターに溜まるような感覚が脳髄と胸の奥から生まれ、士郎はその感覚に首を捻ると、途端にそれが急速に肥大化し、体中に広がって、熱が再発した。無理矢理に神経を肥大化し、それを炎で炙ったような痛みと熱さが脳髄から指先までたっぷりと漬され、声を出すことすら難しくなるほどの痛みと熱は徐々に大きくなり、骨の一本一本に灼熱に焼けた棒が入れられたような感覚は、既に筋繊維一本一本に入れられたような痛みと化している。それに追い討ちをかけるようのにひどく耳障りな音が回りから耳朶に叩きこまれ、士郎の体の周りに赤いゴシック体の文字でERRORと言う文字が真夜中のサイレンのように次々と浮かび上がり、それと同時にERRORの文字は次々に空中に生まれていく。騒音と熱と痛みが同時に体を苛む中、士郎はその中でひたすらに灼熱に焼けた棒を一本ずつ引き抜いていく。しかし、抜いたそばから挿入されるそれに対処も出来なくなった時、別の感覚が脳からではなく、胸から直接響く。この世で一番大切なモノが自分から引き剥がされるような喪失感と焦燥感が、士郎の灼熱した脳髄を冷ややかにする。
 ――それは、ダメだ。それは、ダメだ。それは、ダメだ。
 まるで蚊のように大切なモノを抜いていくが、痛みと熱を与えたから許せと言っているように見えない手か何かは大切なモノを引っ張っていく。士郎は剥き出しになったような神経と熱を無視して、それを暴走させる覚悟で利用する。
「――同調、開始(トレース  オ ン )
 とてもハッキリ言えたとは云い難いが、士郎は自身を暗示の中に落としこみ、酒を鍋に入れて沸騰させてアルコールを飛ばしながら煮詰めたような自身の魔力を汲み上げ、自分自身に浸透させていく。まるで茹でられた泥のような速度で魔力はようやく足の指先まで浸透した時には大事なモノは半分ほども引き抜かれていた。士郎は見えない手と大事なものに手を伸ばし、それを自分に突き刺していく。それは、渡せない、と。

 僅かに士郎の方が力が強いようで、まるでヴィデオをコマ送りで見ているような感覚ながら、しかし確実に士郎は大切なモノを取り戻していく。力を込めるたびに熱と痛みが軋みを上げ筋繊維の一本が千切れていくような痛みが現実でヴァーチャル・ギアを被っている士郎の脳髄に叩き込まれるが、それでも士郎は手を離さず、魔力をなお浸透させ、ようやく成功している強化を限界ギリギリにまで引き上げていく。大切なモノをようやく九割ほど体に突き刺し直すと、体中の痛みと熱はブースターでも取り付けられたように加速度的に士郎の体を突き刺し、折角注いだ力を零させる。ERRORの赤いゴシック体で作られた文字は既に士郎を包みこむほどに生まれ、サイレンは現実に聞こえていたら鼓膜を突き破り三半規管を狂わせるほど士郎の聴覚を壊している。あれほど耳障りだったその音も、今の士郎には鈴虫の鳴き声ほどにも聞こえていない。心臓が鼓動する度に血が、血管が、神経が、筋肉が、骨が、痛みと熱が同調して鼓動し、体の外にまで広がっていく。風に撫でられる髪さえも痛く、熱い。士郎はマラソンでゴールが見えたかのように最後の力を込め、大事なモノを全て体の奥に突き刺しきった。同時に体は鼓動して、今までの痛みが遊びだったかのような熱さと痛みが体中を引き裂くように現われ、そして神経が丸ごと引き千切られるような感覚と共に熱と痛みは一切消えた。それこそまるで、無かったかのように。同時にERRORの文字とサイレンも無くなり、士郎は一人バカみたいに疲れきった体で地面に寝転がったまま、ログ・アウトとした。
 そして『飛ぶ』瞬間の感覚が疲れきった体に鞭を打ちながら飛来し、草の匂い、感触、一切が消えてからSEE YOUの言葉が浮かび、一秒ほどで消えるヴァーチャル・ギアを被っている感覚が体に戻る。士郎はそれを力無く畳の上に置き、トレーナーの中、外、関わらずバケツにたっぷりと溜めた水を被ったような自分に気付き、鞭を打って怠い体を動かして風呂に入って寝た。
 桜と大河は家に戻ったのか居なかったが、切嗣はまだまだ眠気も無さそうに探偵ものの小説を読んでいる、士郎がマーブル・ファンタズムの世界にログ・インしてから一時間ほどのことだった。
  1. 1970/01/01(木) 14:00:00|
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